半導体エネルギー研究所顧問・菊地正典氏に聞く
第2回 半導体の「ばらつき」に秘められた技術革新の可能性
日米半導体協定の「フェア・マーケットバリュー」という圧力
メモリ半導体のシェアを見たら、とんでもないことになっていると。
菊地 はい。これはいかんというんで、アメリカのSIAという半導体産業協会が「そんなにメモリが売れてるのは、日本がダンピングしているんじゃないか」と国に申請して、日米半導体協定が1986年に結ばれることになりました。これによって、DRAMの価格はアメリカが決めることになった。FMV(フェア・マーケットバリュー)、つまり公正な市場価格をアメリカが決めることになりました。あの頃は、一つのラインで、メモリー(半導体)もつくればロジック(半導体)もつくっていた。メモリだって、いろんな世代のものをつくっていたんですが、一日のうちどの製品にどのくらいの工数がかかって、使った材料とか装置とかのデータをぜんぶ報告しないといけなくなりました。それ日本からすべて集めて、アメリカの商務省が、この価格はこうしなさいと言ってくるわけです。
半導体協定について、現場としては当時、どういう受け止め方だったのですか。
菊地 「なんで俺たちはこんなことをしなきゃいけないんだろうか」って思いましたよ。国がしっかりして防波堤になってくれないことにショックを受けました。価格そのものをアメリカが決めちゃうって、とんでもないことですよね。
その直前、1985年9月、プラザ合意によって、アメリカの貿易赤字削減のために為替を円高・ドル安に誘導することに合意して、国内の輸出産業にとって衝撃が走ったわけですよね。
菊地 外国製品を20%日本の市場のなかで買いなさいとかね。要するに無茶苦茶に言ってきたけれども、日本の経済産業省はやっぱりアメリカが怖かったんですね。問題は、その後10年間にわたって「日米半導体協定」という足かせをはめられたこともそうですが、そのことがトラウマになって、国が産業界を指導したり、大きなお金で育成したり、補助金を出したりすることに対して後ろ向きになってしまったことです。
アメリカに釘を刺されると思って、産業育成ができなかった?
菊地 ビビっているうちにどんどんシェアが落ちてしまった。落ちた原因は他にもいろいろありますけど、韓国や台湾、中国では国が支援して、シェアをどんどん伸ばしてきたけれども、それは野放図になっているわけです。