学習院大学法学部教授 小塚荘一郎氏に聞く
(1)AI時代の法と規範
データエコノミーで明らかになる価値観のちがい
先生は商取引がご専門ですが、取引の対象が財物からデータに移行するなかで、どのような変化があったのでしょう。
小塚 今の法律の起源をたどっていくと、古代ローマ法にさかのぼります。共和政の時代のローマに法が生まれ、ローマ帝国の時代に文書化・体系化されて、ローマ帝国を滅ぼした側の中世ヨーロッパの人たちが、その体系を取り入れました。ヨーロッパの人々が世界に進出したことによって、世界各国に法が普及しました。ローマ法をみると、物を売買したり貸し借りしたりという取引の関係は比較的クリアになっていて、商行為が高度なものになっても、同じ考え方を適用できます。物ではないものを対象とした取引は、他人になにかを頼むサービスとしての取引です。ところがデータを使った取引というのは、人がそこで労働力を提供するわけではありません。物のようだけれど物ではないということで、今の法律では「データを○○してください」というような、人に仕事を頼むことに引きつけて議論をしようとしてるわけです。
法律的に齟齬が生じることもあるのでしょうか。
小塚 物の取引との違いを感じることは多くあります。たとえばビジネスパーソンはデータを売買するといいますが、データは物ではありませんから「データの売買」というのは法律的にはおかしな表現になります。法律的には、データを見せたり使ったりするというライセンス契約です。ライセンス契約は、権利の利用を認めるというサービスを提供することですから、古代ローマ法でいえば「うちのパン窯に1日パンを焼きに来てください」という取引に近い考え方です。でもパン窯に職人さんが来ることと、データライセンスを受けてデータを使うこととはまったく違っていて、実際は物を買うことに近い。物の売買とはいえない部分を無理やりサービスの契約として説明していますが、その無理やり感がどうしても法的には気持ち悪いところなのです。
そこで新しい法律を作成することには至らないのでしょうか。
小塚 簡単にはそうならないのです。法律家には商取引は契約に基づいて行われるものだから、法律をつくるのではなく契約上で決めればよいという感覚があります。データの所有権などについては、関係のない第三者に被害が及ぶこともありますから、基本的な契約だけでなく法律や判例が必要になります。しかし、合意の当事者間の関係については、契約に書きこめばよいと考えられるため、法律を作成するという話にはなりづらいのです。
契約についても、国によって感覚差がありそうです。
小塚 現代につながる法の歴史を持つ西洋の国々は、契約についても、その存在を当然のものとして受け止めています。一方、日本を含むアジアの国々にとっては、西洋法にいう「契約」の概念は近代以降に新しく輸入したものであるため、新しい取引ができて契約書を書くにあたっても、何か見本を求める傾向が強くあります。非西洋の国では、新しい取引に必要な法律のルールを求める傾向も強いですね。ソ連崩壊後の旧ソ連構成国や中央アジアの民法には、ライセンス契約やフランチャイズ契約についても書かれています。日本では法改正が議論されたもののすぐ立ち消えになりましたし、ヨーロッパでは話題すらなりません。欧米の人たちは、新しい取引ができると自分たちでルールをつくることを考えますが、非西洋の人たちは新しいシステムと同時に、それを担保する法律を求めます。取引ばかりが先行してしまうことへの警戒、法的な拠り所を求めるのですね。
やはりヨーロッパでは合議制で物事を進めてきた背景があるからでしょうか。
小塚 社会が何によって成立しているかどうかだと思います。ヨーロッパの人たちは、法が社会を形成していると考えています。ですから、誰かが言い出さなくても、最終的には必ず法に帰着します。しかし、それはヨーロッパのほかの国では共有されていません。社会が法で成立していると聞いたら、ほとんどの日本人は怪訝な顔をすると思います。日本では、人の相互理解のネットワークで成立していると考えるほうが一般的ですから。
個人情報については、アメリカでは個人データをプラットフォームに提供する契約にサインすればそれが覆ることはないものの、ヨーロッパでは個人情報は契約より上位にあると考えられているといわれます。
小塚 ヨーロッパにはナチスがユダヤ人を徹底的に管理して迫害したという負の歴史があって、自分たちが何十年もかけて二度と起こらないようにしてきたことをAIが繰り返してはならないという考え方が強くあります。ですからヨーロッパでいう個人データの問題には、ファシズムへの反省と抑止という側面が強くあります。一方、アメリカでは個人データの問題というのは消費者保護の問題です。だから消費者問題に厳しいカルフォルニアが、独自の州法をつくったりもします。アメリカでは、自分たち消費者の行動をプラットフォーム側が勝手に記録した上に、そのデータを基にマーケティングをしてお金儲けに使っていることが問題視されます。これではプラットフォームが二重に利得しているようなものだということです。その意味では、ヨーロッパとアメリカとでは、個人データについての文脈が違うわけです。
法律についての考えかたの差もありますか。
小塚 さきほど申しあげたように、ヨーロッパには最終的に法律に帰着する価値観がありますので、人として持っている権利とは何か、決して奪われてはならない権利とは何かということを考えます。そこから、現代のデータエコノミーの時代には自分のデータについての権利があるという考えかたになります。アメリカでは法律よりもビジネスのロジックで進む傾向がありますから、取引上合意したのだからそのデータを使うのは正当なことだということになります。プラットフォーム側の言い分としては、データ提供に同意したおかげで消費者は安いものやよいものを手に入れられるのだから、きちんとメリットを還元しているということです。
消費者個々にターゲティングして商品を紹介しているのだから、コストを肩代わりしているという論理ですね。
小塚 データの提供を拒絶したらそのプラットフォームを使えない、使えなければスーパーマーケットやデパートに行って高いものを探して買わなければいけない。間接的にはデータの利用料を払っていることになるのだから、取引上合意があれば問題がないことになります。