パスワードレス社会における安全とプライバシー、幸福とは
オンライン認証の現状と未来②
現実とサイバースペースの接合点としてのID
クロサカ 岸上先生が、ECのところで青果店のお話をされていましたが、私も子どものころ、近所の青果店におつかいに行くのが好きだったんです。お小遣いをもらえるという理由もあったのですが、青果店はお金を持っていれば誰にでも、トマトやキュウリを売ってくれるわけです。ただ、同じ青果店に通うようになると「今日もあの子が来たな」というように顔見知りになるわけです。それがもう少し続くと、どうやらあの子どもはおつかいに来ているらしいと思われるようになっていって、何度も来るようになると「リンゴ好き? よかったら持っていきな」ということになる。そうすると、子どもからしても「ありがとう、また来るね」という互酬的な関係ができてくる。これが個人と個人のソーシャル・グラフが社会関係資本としてのソーシャル・キャピタルに昇華していくことなのだと思います。こうした私たちがもともと重視していたものをサイバースペースでも実現することに、将来のIDと未来のサイバースペースと現実との接合点があって、それを結ぶものとしてIDがある、ということですね。
岸上 その通りだと思います。
編集部 岸上先生のおっしゃるソーシャル・キャピタルの取り組みをデジタルで実現しようとすると、スコアリングのように信用を蓄積していくようになるかと思います。マイクロ・ファイナンスが貧困層や低所得者層に貸し付けを行うように、生体認証を使ってスコアリングすることで、銀行口座や社会的なIDを持っていない人でも“信用を創造”することができて、貧困対策や社会的厚生を提供することが可能かもしれません。一方、信用をスコアリングしていくためのデバイスが必要になると、やはり生体認証の技術を持っているグローバルジャイアントといわれるような企業がそれを提供することになって、社会的な幸福は必ずしも一致しないのではないかと思うのですが。
森山 まず後半についてお答えします。セキュアエレメントのような、デバイスのなかでも情報を厳密に扱う仕組みについては、デバイスメーカーがそれをコントロールできないようにするための仕組みを含めて研究が進んでいますし、実装もされています。その意味ではジャイアントプレーヤーがすべてをコントロールしたり牛耳ったりすることとは、逆の方法で考えられています。国家安全保障や経済安全保障という議論のなかでは、こうしたグローバルジャイアントを脅威とする認識もありますから、そこは国際標準化団体での活動などを通じて、メンバー企業の大小を超えて、公平に透明に解決していくことになると思います。
岸上 私からは前半についてお答えします。スコアリングというのは、方法によっては危険な発想です。中国でも国民のスコアリングはされているようですが、どうしてもスコアリングを考える側の意図が入ってしまいます。極端にいえば偏見に満ちた結果を出すこともできるわけですよね。ソーシャルキャピタルが最終的に目指しているのは、あくまでもハピネスなので、そこに紐付けられるようなデジタル技術を、私も研究したいと考えています。1つのヒントとなるのは、Web3の流れで出てきたNFT2(Non-Fungible Token:代替不可能なトークン)やSBT(Soulbound Token:譲渡不可能トークン)など、トークンを使ってものの価値を表そうという考え方ですね。トークン的な考え方というのは、スコアリングとは違う考え方で実現できると思います。そのようにソーシャルキャピタルの指数を測っていくことは可能だと思います。
クロサカ ブロックチェーンをまともに稼働させるにはトークンしか乗せられません。フルオンチェーン3をしたら、システムが事実上止まってしまうこともあります。モノの代替物として流通するにあたっては、貨幣のような物理的な実態を持たないトークンはお金よりも抽象度が高くなります。そこに色づけをすることは可能なのですが、比較的自由な世界を志向するのであれば、1つのトークンを仲間内10人の楽しみのためのものに留めるようなことも可能です。認証の際にスマートフォンを使うとしても、情報をOSベンダーに渡すわけではなく、あくまでインターフェースとして使っているだけで、大事なのはその先にある小さなコミュニティの価値交換だというところにたどり着きます。価値を共有して、本当にほしいものを追求できるようになることが、これから必要な知恵になるのだと思います。(了)