経済学者・井上智洋氏インタビュー(1)
「中華未来主義」は誰にとってのディストピアか?

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

井上智洋氏は、AI研究者からITエンジニアを経てマクロ経済学の道へ進むという異色の経歴を持つ。2019年に上梓した大著『純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落』(日本経済新聞出版)では、AIの開発競争によって西欧の近代化以来の“大分岐”が起きると予測している。近代化によって西欧がアジアに先んじその後の世界のモデルになったように、次はAIの社会実装によって中国が先進モデルとなり新しい世界をつくるという文明史的なコンセプトである。

格差は広がり、これまでとまったく質の異なる失業が増加する。こうした時代に、私たちの社会はどこへ向かうべきなのか? 井上氏は以前からAIの成長と技術的失業をベーシックインカム(BI)と結びつけて論じてきた。

果たして警鐘が福音となる時代は訪れるだろうか? 新著『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)刊行目前の井上氏に話を伺った。(全3回)

井上 智洋(いのうえ ともひろ)

駒澤大学経済学部准教授。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。
慶應義塾大学環境情報学部卒業後、IT企業を経て、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。2015年から現職。博士(経済学)。人工知能と経済学の関係を研究するパイオニアとして、学会での発表や政府の研究会などで幅広く発言。AI社会論研究会の共同発起人をつとめる。著書に『「現金給付」の経済学』(NHK出版新書)、『人工知能と経済の未来』(文春新書)、『ヘリコプターマネー』『純粋機械化経済』(以上、日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社新書)、『MMT』(講談社選書メチエ)などがある。

目次

エンジニアから経済学者へ:技術的失業という問い

桐原永叔(以下、桐原) 最初に井上さんの経歴について質問させてください。どういうきっかけでAIの研究に取り組まれて、またどういうきっかけで経済学に進まれたのか、その辺の経緯をお聞きできると、AIとマクロ経済を横断している井上さんの特異なポジションも理解できるのでないかと。

井上智洋氏(以下、井上) 大学は慶應大学の環境情報学部です。コンピュータサイエンスが専門で、AIを研究するゼミに所属していました。学生時代からプログラミングのアルバイトをしていたのですが、そのままバイトしていた会社に就職してシステムエンジニアを3年弱ぐらい経験しました。学生時代は、竹中平蔵先生のマクロ経済学の授業を履修した程度で、経済についてはそれほど関心がありませんでした。

桐原 どういうきっかけで経済学に関心を持たれたのですか?

井上 働いているうちに、自分がエンジニアに向いていないということに気がついて、どうしようかと考えていました。経済に興味を持ちはじめたのは、自分がつくっている経理システムによってたとえば経理に携わる人たちが失業するのではないか、便利なソフトやネットサービスが普及すればするほどいろんな分野で失業も増えるのではないかと考えたところからです。つまり「技術的失業」に関心を持ちはじめたのです。同時に、その頃(2000年前後)、日本はデフレ不況で経済が停滞していたので、素朴に「経済学者はいったい何をやっているんだろう? 彼らがちゃんとやらないからこんな状況になっているのではないか。だったら自分がやってみよう」と考えたのですね。

桐原 社会運動的な興味ですか?

井上 半ばそうですね。技術的失業とデフレ不況という二つが興味の軸にあって経済学を学び直すことになりました。

桐原 AIを突き詰めて経済学に行ったわけではないということだったんですね。

井上 その頃はAIのことは忘れていました。ちょうど「AI冬の時代」で、大学時代にAIやっていましたというと、ずいぶん時代遅れなことをやっていると見られていたんです。ですからAIというよりもITによる技術的失業に関する問題意識があって大学院に入り直しました。

桐原 著作には、社会学や哲学など多方面から引用されていますが、これは大学時代から親しまれていたのですか?

井上 大学時代に、授業ではコンピュータについて学びつつ、一方で哲学・歴史・文学などの実用性のない学問について個人的にのめり込んで本を読んでいました。私は自分のことを遅れてやってきたニューアカだと思ってまして(笑) 大学に入ったときに、その時点で10年ぐらい前の発行になる浅田彰さんの『構造と力』を読んで感動して、浅田さんや柄谷行人さんの本を読んでいました。その後、大学3年の時には柄谷さん経由でゲーデルの不完全性定理にはまってずっと数式とにらめっこしてました。

構造と力――記号論を超えて

浅田彰 著

勁草書房

不完全性定理

ゲーデル 著

林晋、八杉満利子 訳

岩波書店

桐原 80年代、構造主義などのフランスの思想に影響を受けた新進の研究者たちが中心にブームになったニュー・アカデミズム(ニューアカ)にシンパシーを抱く人が、経済学では政策的にインフレーションを発生させるというリフレ派に近いお考えというのが意外でした。私自身もそういうリベラルな思想の影響をうけつつ、アベノミクスの必要性も理解しているつもりではあったのですが、言論として井上さんのような方が登場するのが意外だったんです。

井上 私が尊敬する浅田彰さんも、対談では景気を良くするためにお金をジャンジャン刷るなんてとんでもないって言っていました。自分のなかでは、ニューアカ的な考え方とリフレ的な政策が矛盾するとは考えてはいませんが。

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