LA(Learning Analytics)で学びをつなげる
京都大学学術情報メディアセンター教授 緒方広明氏に聞く(2)

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

教育が話題にのぼると、学習者がその輪に入らないまま、だれもが一家言を表明して百家争鳴の議論が沸き起こる。学習者を中心として教育データを利活用するLAの世界では、こうした状況は起こらない。個人のライフステージと時代の変化に応じてだれもが学び、だれもが教育のステークホルダーになっていくこと――教育DXによって、それが実現するかもしれない。

取材:2023年5月11日 オンラインにて

 

 

緒方 広明(おがた ひろあき)

京都大学 学術情報メディアセンター 教授

1998年徳島大学にて博士号(工学)取得。 その後、徳島大学工学部知能情報工学科准教授、米国コロラド大学ボルダー校生涯学習デザイン研究所客員研究員、九州大学ラーニングアナリティクスセンター長、同大学主幹教授などを歴任し、2017年4月から京都大学学術情報メディアセンター教授。同大学大学院情報学研究科社会情報学専攻併任。エビデンス駆動型教育研究協議会代表理事。日本学術会議 「教育データ利活用分科会」幹事。文部科学省「教育データの利活用に関する有識者会議」委員。 教育データ科学、ラーニング アナリティクス (学習分析)、エビデンスに基づく教育のための情報基盤システムなどの研究に従事する。著書に『学びの羅針盤: ラーニングアナリティクス』 (丸善ライブラリ、共著)、『学びを変えるラーニングアナリティクス』(日経BP社、共著)などがある。

 

 

目次

留学時に英語で苦労したことから生まれた「BookRoll」

GIGAスクール構想をきっかけに学習内容の充実を

AIが個々に応じた学習方法を提案することで、履修主義から習得主義に

時代の変化に合わせた教育のありよう

データで変わる教育の姿

 

 

 

 

 

留学時に英語で苦労したことから生まれた「BookRoll

 

――先生がLAに注力されたきっかけはありますか。

 

緒方 徳島大学にいたころも教育工学そのものは研究していましたが、32歳のときにアメリカのコロラド大学に1年半留学したことがきっかけとなりました。なにしろ英語が通じなかったのです。私が話していることも通じないし、向こうが話してることも理解できませんでした。これは、留学したほとんどの方々についても一緒で、しかも同じような状況で同じようにつまずいていました。そこで、こうした学習の体験を共有すれば、海外に来る前に自分で事前に予習ができるだろうと考えました。当時は現在のような環境はなかったのでPDAをつかって、わからなかった言葉や状況について写真を撮ったりビデオを撮ったりして記録して、共有するツールを作成しました。それが現在の「BookRoll」の雛形になっています。

 

――そこから、教育についても同じものを開発したのですね。

 

緒方 英語ツールで学びの体験を共有することの重要さを実感した後に、学校教育でも毎年同じ内容を繰り返して教えているので、どこでつまずいて、どう解決したかということを共有してあげれば、多くの学習者の困難を解決できるのではないかと考えました。教科書を読むときに難しかった箇所や、理解するのに時間がかかった事柄を共有することで、学びをサポートできるのではないかということです。帰国してから開発に取り組み、現在に至ります。

 

――たしかに、つまずいたところというのは乗り越えてしまうと忘れたりもします。

 

緒方 そうなのです。そこを過ぎると別のことを学習するので、その経験はこれまで教員のカンと経験として残ることを期待するしかありませんでした。

 

――先生方も、教え方を反省することがあるかもしれませんが、それも個人の工夫という範疇になってしまい、蓄積や共有がなされないわけですよね。

 

緒方 先生によっては、指導案と同時に反省点を記録されている方も多いと思います。それを共有すれば、もっと多くの児童生徒に質の高い学習がいきわたります。

 

――先生がPDAからスタートした取り組みから、デバイスも発達してデータもクラウド上に保存できるようになった、ということで、時宜を得てLAの環境が整ったことになりますね。

 

 

GIGAスクール構想をきっかけに学習内容の充実を

 

――コロナ禍の影響でGIGAスクール構想が前倒しされました。普及に時間がかかったり、地域によっては家庭に負担を強いたりという問題もあるようですが。

 

緒方 10年に1度といってもいいほどの英断ですから、評価すべきことだと思っています。

 

――内容についていうと、私立の学校などは自粛期間中に独自のデジタル教材を作成して、公立学校と差別化をアピールするポイントにしています。教育資産を抱え込んでしまっていて、もったいない気がするのですが。

 

緒方 そうですね。データが大きければ信頼度も高くなりますし、分析結果も実勢に即したものに近づきますから。

 

――先ほど「ゆとり教育」のことで触れましたが「学びエイド」「スタディサプリ」など、民間教育の持っているデータも各サービスに分断されています。

 

緒方 データそのものは、いろんなところに散らばっている状況ですね。

 

――ベネッセは国内では大きな教育企業ではありますが、世界銀行やOECDと事業協力を結んでいるPearsonやBMGF、Googleのような巨大企業の比ではありません。公教育を民間から防衛してきた経緯からすると、データを共有する方向に舵を切ったほうがよいと思います。マイナンバーカードが構想されたときに、当時の経産省は学校の定期テストのスコアを紐付けることを目指していましたが、その程度のデータでは……。

 

緒方 ビッグデータとはいえません。もちろん1人1台端末が行き渡ったからといって、それを活用しなければ、教科書やノートよりも軽いといった程度のメリットしかもたらしません。重要なのは内容を充実させることで、それがこれからの課題です。

 

 

AIが個々に応じた学習方法を提案することで、履修主義から習得主義に

 

――現在、各地方公共団体の教員不足は深刻です。2000年代に教員の多くを占めていた団塊世代の大量退職を非正規教員で埋め合わせたことで教員が多忙化して、その状況が広く知られたことで、教員を志望する学生が少なくなってしまいました。その結果、教員採用試験の倍率も下がり、教育の質的担保も難しくなっています。

 

緒方 教員の負担を軽減することも、LAの大きな目的です。これまでは、授業で用いるテストについても事前に準備して配布し、回収したものを添削して誤答の多かったものを次の授業で教える必要がありました。LAのシステムを使えば、タブレットにスタイラスペンで直接解答させて、リアルタイムに分析してその場で説明することができます。一連の準備や手間を省くことができるだけでなく、学習内容を定着させるうえでも効果的です。また、ベテランの先生の経験やカンに頼っていたことを若い先生に共有することもできます。データとシステムを用いることで、現在の教員が抱える負担を約20%は縮減できます。

 

――教員不足を受けて、40人学級が見直されていますが、LAによって個別最適化が行われれば、その実現を後押しすることができますね。

 

緒方 学習状況をその場で見て取ることができれば、可能になることも多くなります。

 

――飛び級や留年といった大きな制度改革は難しくとも、履修主義から習得主義に近づけることは可能ですよね。

 

緒方 AIが個々に応じた学習方法や課題の克服を提案できるようになれば、今よりも課題を克服しやすくなるはずですし、学習内容を充実させることができます。なにより、子どもが理解できないのにただ授業に出ているという苦痛をおぼえることはなくなります

 

――教育にかかわる、それぞれの立場の当事者意識も必要ですね。

 

緒方 保護者にとっても子どもの学習状況をリアルタイムで知るメリットがあります。大学や研究機関は教育ビッグデータを用いた研究をすることができますし、国や教育委員会もEBPM(Evidence-Based Policy Making:エビデンスに基づいた政策立案)を実施することができます。

 

――産業界においても、自分たちの役に立つ人材を要請するだけに留まらない役割が求められますね。

 

緒方 やはり産・学・官が連携して進める必要があります。実際に文部科学省の調査研究協力者会議の「教育データの利活用に関する有識者会議」メンバーとして私たちの取り組みを紹介していますが、みなさん興味を持ってくださっています。また2021年に「エビデンス駆動型教育研究協議会」を立ち上げてLEAFをさまざまな教育機関に導入して教育データの利活用やLAの研究や促進を進めるほか、データの標準化や基盤システムの構築について議論を深めています。

 

――学校は地域にも説明責任を負っていますが、エビデンスをもって説明責任を示すことで、学校評議会やコミュニティ・スクールが拡大することも期待できそうです。

 

緒方 そうした活用のしかたも考えられますね。

 

 

文部科学省スキームD University Pitch and Conference

デジタル技術で高等教育をアップデート!〜 デジタル教材配信システムBookRollを⽤いた教育DXの推進

 

 

時代の変化に合わせた教育のありよう

 

――現在、ChatGPTが大きく話題になっています。基礎学力のついていない12歳以前の子どもにChatGPTを使わせるべきではないとか、間違った情報を生成することに危惧をおぼえると主張する人もいます。先生はどうお考えでしょう。

 

緒方 疑問が生じたときに、その場で十分な情報を得ることができるというのは、学習において重要なことだと思います。疑問を放置することがなくなりますし、得られた情報を基に、より本質的な学びに向かうことも考えられます。重要なのは、そうしたツールについて先生や保護者の方々が知っていることだと思います。教える側が知っていれば、ChatGPTが生成した間違った答えを子どもが鵜呑みにするのを放置するのでなく、そこから新しい学びの力を育むこともできるわけですから。

 

――今でも紙の辞書の是非やGoogle検索の是非をいう人はいますが、すでにあるものを使わないというのは非合理ですね。

 

緒方 教育がそこにキャッチアップできなくなるほうが問題だと思います。

 

――明治時代に義務教育ができたころは、国民国家の担い手をつくるという教育意図があったと思います。また戦後の学制改革では、勤勉な労働者の輩出が求められました。学習を個別最適化する背景として、多様性のもとでこうした一元的な教育目的が無効化しつつあることが考えられるのでしょうか。

 

緒方 児童生徒や学生も多様化していますし、学ぶ内容も多様化しています。その中では、学びを均質化することよりも、さまざまな学び方を許容していくことのほうが重要だと思います。デジタルツールの普及で、学校内にとらわれずいつでも・どこでも・だれでも学ぶことができる環境が進んでいますから。

 

――国も国民国家の枠を超えてグローバル化しているし、教育動機や教育意図も多様化しているということでしょうか。

 

緒方 たとえば私が学生のときは、情報技術というのは電子工学の1分野でした。現在では、画像処理や自然言語処理など、さまざまなことを学ばなければなりません。義務教育などで基礎教養を身につけることは必要ですが、その先は興味関心に基づいたことを深く学んでほしいですし、そのためにも自分で学ぶ力を身につけてほしいと思います。

 

 

データで変わる教育の姿

 

――現在は、LAについてどのくらいの実践研究が進められているのでしょう。

 

緒方 大学が10校、初等中等教育で20校ぐらいを対象にしています。

 

――どのような大学が導入されているのでしょう。

 

緒方 滋賀大学、芝浦工業大学、帝京大学、神戸大学、熊本大学、東京都市大学、香港教育大学など国立私立を問わず参加しています。また滋賀大学は教育学部附属中学校でも導入されています。

 

――初等中等教育では、どのような学校で導入されていますか。

 

緒方 京都市立西京高等学校・附属中学校は当初から熱心に導入されています。その他には滋賀県立大津商業高等学校、宮城教育大学附属中学校、宮城県富谷市立富ヶ丘小学校、仙台白百合学園小学校など、こちらも国公立・私立を問わず導入されています。また京都市立柊野小学校では、特別支援学級での実践研究も行われています。

 

――これまで教育は「国家百年の計」といわれる一方で「総評論家」ともいわれて、客観性に基づいた議論がなかなか進まない面がありました。データとエビデンスで客観性が示されると、そのギャップを埋められるのではないかと思います。

 

緒方 おっしゃる通りです。戦後の日本は、新幹線をつくったり高速道路をつくったりというハード面では先進的でしたが、教育分野では遅れている面が多くあります。新幹線は人を運びますが、教育データの利活用によって地域をつないで知識を運ぶことができればいいですね。将来のことを先回りして教えることができない時代ですから、その時々で自己指導力を発揮して必要なことを学べるようにしたいと思います。

 

――教育については政治の場でも日常会話でもよく話題になりますが、とかく印象論に流れやすい。データを参照するにしても、国際比較をみて進んでいるとか遅れているとかいう話に留まりやすいです。

 

緒方 確かにデータやエビデンスに基づいた話ができるようになると、どのような教育をするべきかということを、さまざまな立場の方が考えられるようになってくるかもしれませんね。

 

――先生の展望としては、どのようになっていってほしいと思われますか。

 

緒方 私たちの開発しているような教育システムが日本のスタンダードになって、全国各学校の教育データが集約されて、どのような教育をすればよいのかがわかるようになり、より質の高い学びが実現するとうれしいです。日本に生まれれば日本語を話せるようになるように、人間というのは学ぶ生き物だと思います。その学び方について、個人に合ったものにできればよいですね。(了)

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