『ももクロ論』補論
第5話:システム化できない偶発性こそが、ユーザーを動員する時代のヒントになる
再定義の時代
ITサービスと技術の進歩についても同じ論理が当てはまると思う。可視化、システム化を推し進めてきたことによって生じた綻びがあるとすれば、それは技術の進歩を否定して神秘的なものに依存するのではなく、全く新しい観点を取り入れたアプローチによってイノベーションを模索することこそ近道なのであり、そのためにリセットボタンを押してしばし思考を巡らせることも有用だろう。
わたしは『IT批評』を創刊したとき、インターネットに代表される情報技術は、あらゆるものに再定義を迫ると考えた。電子書籍は書籍というのもの定義を、電子マネーは貨幣の定義を、ネット選挙は政治の定義を変えうるという意味だ。IT化は、決してリアルの代替物ではないからだ。ただの代替物として、既存の商品やサービスをエンパワーメントするものとして、IT化を捉ええていれば、新しい観点をもつことは難しい。
だからこそ、可視化、システム化とは縁遠い活動形態をとってきたことで模倣のできない独自性を発揮し、ファンを動員してきたももクロを、大衆文化の定義を改めて考え直す契機と感じてしまったのだ。これが『ももクロ論』を書く大きな動機となった。
ここまであまりふれられなかったが、ももクロもその活動においてインターネットの恩恵を多分に享受している。AKB同様に、インターネット上にはコミュニティが存在するし、YouTubeには著作権など無関係にファンが編集(生産)した動画が溢れている。Ustreamでも早くから自分たちの姿を配信してきた。ツイッターでも運営側からの情報が配信されている。
しかし、その手法はリアルの代替物とは呼びがたいものだ。たとえばUstreamの動画配信などは、まったく別のアイドルの意味づけを創出しているようにみえる。テレビ放送的なコードに準じながら、Ustreamであるがゆえにどんどん(グダグダというべきか)逸脱しいくためだ。テレビ番組を模していながら、かえってそのために、テレビ番組を不法に占拠したかのような、ももクロのUstream番組が意味するものは、一般の人が配信する番組以上に、テレビ放送が解体される姿を見せつけられようであった。
それこそ、アイドルを再定義してしまうラディカルな存在に見えるために、いい歳をした大人をふくめて、クラスターを破壊してファンを広げているのではないか。それに比べると、AKBは芸能界におけるアイドルという意味で、持続的イノベーションの域にあるようにも思える。
ももクロの魅力の正体こそが、ITサービスの進歩の方向性のヒントとなり得るのではないかという考えはしばらく変わりそうにない。神秘性を帯びながら技術によってみずから神秘性を破壊し、技術的な進歩をえながらも、すぐに理論化できない領域に踏み出してしまう存在(コンテンツ)の今日的な象徴として。ラディカルなイノベーションの基点となるトリックスターとして。
価格を決定させ、消費者にゆだねる
再び、AKBとももクロの対比を参考にするなら、ITシステムの持つエッセンスを最大限利用し、アイドルという商品の人気を徹底的に理論化し、テンプレート化して大量再生産を可能して今世紀的ビジネス手法で成功したAKBに対し、理論づけや予測、視覚化することともっとも縁遠い活動形態をとっているももクロの人気は、まだ勢いを失っていない。
ももクロの魅力は可視化、システム化どころかテキスト化さえ拒む。いわば、マネタイズしにくいものの本流である。しかし、そのこと自体がももクロの強い魅力となり、ファンを動かし、人々を動員するパワーの源であるとしたら、その魅力を解明し、そこから見えてくるものがあるのではないだろうか。
ももクロの動員力の正体は何か。それはライブおける彼女たちの即興を引き出そうとする演出とともに存在するライブの一回性の魅力を抜きには語れないだろう。マネージャーである川上アキラ氏はももクロに歌唱力がないことを理解したうえで、「技術がないからこそ、プロレスの前座のように感情を見せるしかない」と語り、意図的、戦略的な活動より、むしろ感情、情熱が先行させ、進めてきたように見える。それは、プリミティブなものづくりの情熱とも似ている。
再現でも模倣でもない、一回限りの即興性によってステージに生きているのがももクロだとすれば、それこそが、再現可能性、複製可能性をコンテンツの主たる内容としているAKBとの最大の違いだろう。わたしを含め、それまでアイドルなどというものがみずからの生活、趣味のスペースに入る余地などないと思っていた大人たちが、ももクロに惹かれていったのは、偶発性の高いリスクを孕んだパフォーマンスによって現れる緊張と高揚、それが生み出すライブの一回限りの瞬間に事故のように衝突してしまったためだ。
ももクロの「システム化」されない活動、このライブの一回性の魅力こそセグメント、クラスターを破壊するパワーであり、そのことによって多岐にわたる趣味嗜好からのファンを獲得し、彼らをももクロに共鳴させている。
ITサービスがユーザーにシステム化されていないコンテキスト(それはユーザーが自由に選択し得るコンテキストといってもいい)を解放し、運営を委ねることができたなら、セグメント、クラスターを横断するボーダーレスなユーザーを獲得し得るのではないだろうか。そしてそこでは「隠れた経済活動」と「影の文化経済」が駆動することが期待できるだろう。その成否は、マネタイズの過程での価格設定でさえユーザーに委ねるという立場の逆転が起こるかもしれないのだが。
佐々木俊尚, 杉浦宣彦, 桜井進 (著)
眞人堂
ISBN:978-4904920008
清家 竜介, 桐原 永叔 (著)
有楽出版社
ISBN:978-4408593999
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