IFRSは誰のために、何のためにあるのか?
ITがもたらした会計基準統一の動き

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著者 伊藤 歩

上場会社はわずか7年前までは紙の冊子で有価証券報告書を提出していた。

各上場会社が株主総会終了後に管轄の財務局に有価証券報告書を提出してから、政府刊行物センターに縮刷版が並ぶまでにはタイムラグがあったし、提出後すぐにコピーを入手したければ、財務局の閲覧室に足を運び、決して安くないコピー代を支払わなければならなかった。

だが、2004年6月以降、電子データ形式であるHTML形式での提出が義務づけられてインターネットでの閲覧が可能になり、2006年からは印刷ストレスがPDFファイルでの開示も浸透。2008年7月からは、財務情報の次世代世界標準言語であるXBRLでの提出を義務づけられるようになった。

XBRL言語で有価証券報告書が提出されれば、財務情報をそのまま加工、流通、再利用することができる。PDFファイルでの開示では、投資家は個別銘柄の分析をするにあたって、財務情報を自分の分析ツールに入力しなおさなければならないが、XBRL言語でなら入力の手間が省ける。世界標準の会計基準であるIFR Sで作成した財務情報を、世界標準の言語で提供する。それが日本の証券市場がローカル化しないためのインフラである、というのが、日本の証券市場関係者や金融当局、そして経済界トップの一致した見解なのである。冷戦終結で拡大した世界の金融資産日本の証券市場における外国人投資家の台頭は経済のグローバル化の象徴と言える。冷戦終結によって経済がグローバル化し、貿易、物流、マネーなどあらゆるものが旧東側や新興国に流れ込む。

時を同じくしてレーガノミックスを推し進める米国では国防費が大幅に削減され、ASAのロケットチームが高額の報酬を求めてウォール街へ流れ込む。結果、投資の世界に金融工学が本格的に持ち込まれ、デリバティブが金融商品として確立した。これが1980年代の流れである。

90年代に入ると、先進国でで〝高齢化〞が進み、年金資産が増加すると金融資産の運用ニーズが急速に高まっていく。

一方で経済のグローバル化や地域経済の統合の加速によって、金融の世界はますますボーダーレスになり、資金移動コストが下がっていく。先進国の高齢化は経済を生産性重視の方向へ導き、ディスインフレが起きると、収益が安定化しやすい金融資産へのシフトが進んでいく。世界中を駆けめぐる投資マネーが、一体どのくらいあるのかという正確な統計は存在しなが、FRBが公表している、米国の金融資産が名目GDPの何倍あるかという統計によると、80年代初頭は5倍程度でしかなかったが、その後の20年で9倍以上に膨れあがり、サブプライムショック直前の時点では10倍に迫るところまで拡大。

リーマンショックで一旦縮小はしたものの、株価は既にリーマンショック直前の8割の水準にまで回復している。80年代以前であれば、国内の限られた対象にしか投資マネーは向いていなかったのに、金融の世界がボーダーレスになっていく過程で、投資家はますます正確な情報開示を求めるようになっていく。

コンピューターの発達とインターネットの普及で、情報がより手軽に入手できるインフラが整えば整うほど、投資家の情報開示に対する欲求も高まる。

そこに、正確な情報開示の基本となる、世界標準の会計制度という需要が生まれたのである。

ルールを決める側に立てない日本

冷戦後、世界の覇権を一手に握った米国。会計基準においても、米国基準こそ世界最高であるという自負を持っていた米国が、なぜ世界標準の会計基準では、欧州型のIFRSに覇権を握られつつあるのか。

世界各国の会計基準統一を目指した組織は1973年に設立されているが、当初はほとんど影響力を持たなかったという。だが、90年代に入ると経済のグローバル化が進み、世界標準の会計基準の需要が高まる。

そもそも会計基準はどこの国でも、重要な国家戦略として位置づけられ、自の産業や投資家、行政にとって最も都合がいいように作られている。ゆえに自国の会計基準が世界標準になることのメリットは大きい。会計基準が変わっただけで、一つの企業に対する世界中の投資家の評価がガラリと変わってしまう。

それを最もよく理解していたのは米国である。だからこそ米国基準は世界で最も優れた会計基準だと言い続け、米国市場で資金調達をする企業に米国基準での開示を義務づけた。しかもその基準策定には他国を一切関与させない。他国の実情には一切配慮をしない、米国による米国のための基準を、世界標準にふさわしいと言い切ってしまう。

そんな傲慢な米国の姿勢に、諸外国が忸怩たる思いを抱くのは当然だったといえる。

これに対し、IFRSはまがりなりにも世界各国の意見を集約する手法で策定される。21世紀に入って、エンロン、メルク、ワールドコムと、米国で相次いで不正会計問題が発覚。一挙に米国の旗色が悪くなった、その間隙を縫って、IFRSが台頭したのは、いわば必然だったと言える。EU、中国、韓国、豪州、インド、カナダ、ブラジル、南アフリカなど、主要国はほとんどIFRSの強制適用時期を決めており、米国と日本はいわば世界の潮流から孤立状態にある。

その米国が今、必死の巻き返しを試みている。米国はいかにしてIFRSを米国基準に引き寄せるかの攻防の真っ最中。I FRSを「2014年末から強制適用するかどうか」を2011年末までに決定する。日本は米国の結論を待って決めようという姿勢を鮮明に打ち出しており、スケジュールも米国のスケジュールの後を追うように、2015年からの強制適用の採否を2012年1月末までに決める。

ただ、IFRSの基準自体が今、めまぐるしく変化している。基本的な考え方が変わらない部分については、日本は少しずつコンバージョン作業(日本の基準をIFRSに引き寄せていく作業)を進めている。

残念ながら、今の日本にIFRSを日本基準に引き寄せる交渉力はない。

日本の経営手法は総じて米国型よりは欧州型に近いと言われる。そのためか、日本基準は米国基準よりもIFRSに近い部分もある。

だが、その一方で、90年代以降、2002年に米国が米国基準とIFRSとの統合に合意(いわゆるノーウォーク合意)するまでは、日本の会計改革は基本的に米国基準を手本にしてきたので、米国の巻き返しで現行の日本基準が生き残る部分もある。

いずれにしても、日本が会計基準において、ルールを決める側に立てる可能性はゼロだ。日本のグローバル企業は、相変わらず国家の後ろ盾がないまま、自力で自社の評価を維持していかねばならないのである。

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