iPadと電子書籍の未来
ガラパゴス化する日本市場に必要な次の一手
ケータイコミックが牽引する日本の電子書籍事情
一方、イーブックの鈴木会長とは対照的に、アメリカでは爆発的ヒットとなったiPad も、日本ではそこまでヒットしないのでは?と、冷静な見解を述べるのは、株式会社暁印刷デジタル事業本部の田口本部長だ。
暁印刷は1999年から電子書籍業界に参入し、いち早く「ワンソース・マルチユース」を実現した。それこそ「電子書籍とはなんぞや?」と言われる黎明期から、電子書籍とともに歩んできたのだ。
現在では、コンテンツのオーサリング加工を請け負う制作業務と、コンテンツ供給を代行する取次トータルサービスの2本の柱で事業を展開している。
冷静な意見を述べるその根拠は、Webも含めた日本の電子書籍市場の規模が、2008年度で約464億円あり、対前年比約131%拡大していることにある。2006年から07年にかけて、約200%の急成長だったのに比べると、やや減速した感はあるものの、不景気と言われる今の日本では、破格の伸び率だ。
とくに携帯向け電子書籍市場の伸びはめざましく、全電子書籍市場の約86%にあたる402億円という数字をたたき出している。なかでもアダルト系のコミックの売れ行きは、目を見張るものがあるという。
「携帯コンテンツで人気があるのは、リアルの書店ではちょっと買いにくいジャンルのコミックですね」(田口氏)
携帯コミックの火つけ役となったのは、「ボーイズラブ」を好む、特定の女性ユーザーだ。当時、リアルの書店でも見かけなかったジャンルだが、携帯コミックの高い人気を受けて、今では各書店にたくさんの作品が並ぶようになった。ネットがリアルを動かしたかたちだ。
「ボーイズラブ人気の高さから、次に『ティーンズラブ』というジャンルに挑戦したんです。若者たちが『ちょいエロ』と呼ぶものです。そうしたら、男性読者がぐっと増えた。ボーイズラブは男性は買いませんが、ティーンズラブは男性も女性も買う。それでどんどん市場が拡大していったんです」
現在、6対4の割合で女性の読者のほうが多いものの、売上が高いのは男性ユーザーだという。平均単価でいうと、女性は600〜700円、男性は1000円以上。しかも、夜10時を過ぎると、ぐっと販売数が増えるとのこと。コンテンツとマッチしていて、非常にわかりやすい動きだ。
「おもしろいのは、リアルの書店で売れたからといって、携帯で同じように売れるわけではないところです。リアルの書店で10万部売れたからといって、携帯でも爆発的ヒットになるとは限らないのが、今の状況です」
とくに子ども向けのコミックの売上は、携帯ではそれほど高くないのが現在の傾向だという。なぜなら、携帯でコミックを買うのは、大人だからだ。
クレジットカードを持たない主婦でも、携帯の公式サイトなら通話料金と一緒に課金されるので支払いやすいというのも、人気を支える要因の一つだろう。現在500を超える公式サイトへデジタルコンテンツを提供している暁印刷だが、
売れ筋データをチェックするたびに、「リアルとデジタルの差」を実感するという。早い話、リアル書店に行く人と、携帯コミックの愛読者は、客層が違うのだ。
A p p S t o r e とのつきあい方
iPad の登場で、「電子書籍はAppStore で買う」という、新たな購入ルートが主流になるといわれている。
ところがAppStore はセクシー&バイオレンス系コンテンツはすべて御法度。
先日、講談社がコミックスの電子書籍の申請をした結果、30%が掲載拒否となったことも、記憶に新しい。携帯コミック市場をここまで大きくした立役者であるアダルト系コミックが、AppStore に並ぶ確率は絶望的なほど低い。
「もちろんAppStore も選択肢の一つだと考えてはいますが、そこで直接コンテンツを販売するというよりは、ビューアーをダウンロードしてもらうために利用する方針です」
現在主流になっているのは、まずは、専用のビューアーをダウンロードし、そこから欲しいコンテンツを購入するスタイル。
携帯、PC、iPhone など、デバイスはなんであれ、暁印刷がコンテンツを提供しているほとんどのサイトが、この方式で販売している。今後AppStore がiBooks を手がけても、そのスタイルを変更するつもりはないと言う。
さらにもう一つ。AppStore に頼らない理由がある。
それは、日本のコミックスを買うには、AppStore はとても不便だからだ。日本のコミックは長編が多く、長いものになると100巻を超える大作もある。それらを1冊1冊ダウンロードしていかなければならないAppStore の売り方は現実的ではない。
さらに、1巻はOKでも、2巻目がNGとなる危険性もある。全巻コンプリートできないショップなど、ユーザー目線から見てもあり得ないというわけだ。これは、イーブックの鈴木会長も同じ意見であった。
AppStore では扱わないジャンルのコンテンツこそが、日本の電子書籍市場を引っ張ってきたという事実は、非常に興味深い。そういえば、VHSが爆発的にヒットしたのも、アダルトビデオというコンテンツがあったからこそではなかったか。
このあたりが、日本独特の文化なのかもしれない。
母体あってのマーケット i P a d と携帯は共存の道をたどる
田口氏が日本ではアメリカほどiPad 熱は高まらないと踏むその背景には、過去、何度か日本にも訪れた電子書籍ブームの実体験による。
「2004年頃、ソニーが『LIBRIe(リブリエ)』という電子書籍専用端末を、鳴り物入りで発売したことがありました。弊社は専用フォーマットのコンテンツを制作しましたが、結局日本には根づかず、2007年にサービスを終了しています」
その原因は何か。一般的にはコンテンツが少なかったと言われているが、当時でも何万冊ものコンテンツはあったという。
「簡単ですよ。ハードが売れなかったからです。私たちがつかんでいる情報によると、6000台程度しか販売台数が伸びなかったと聞いています」
母数が小さければいくらコンテンツの充実に力を入れても、結果は目に見えている。
その点から見ると、日本の携帯電話の販売台数は、1億台を優に超える。それだけの巨大マーケットがあるからこそ、電子書籍市場も急成長できたのだ。
おもしろいことに、LIBRIe は、日本とほぼ同時期に、アメリカでも展開した。結果は日本とは大違い。かなり人気商品となり、成功を収めているのだ。まるでiPad の前身を見るようではないか。
「iPad の日本国内での出荷台数が、携帯同様1億台を突破するとは、ちょっと考えにくいですよね」
携帯の小さな画面で、一人コンテンツを楽しむ。このプライベート感が日本の風土にマッチして、携帯コミック市場は花開いた。iPad が登場したからといって、その土壌はそうそう揺るがないだろうというわけだ。
もちろん携帯あっての電子書籍との考えではあっても、iPad 用のコンテンツを作る準備も万全だ。ワンソース・マルチユース。ここが全包囲でビジネス展開してきた暁印刷の大きな強みだろう。このビジネスモデルは、黒船上陸にも揺るぎがない。
一人密かに楽しみたいコンテンツは携帯、あるいはPSPなどのゲーム機で、迫力満載の音と映像をオープンに楽しむならiPad でと、今後は棲み分けが進み、共存していくと、田口本部長は考える。
たしかに日本の今の携帯市場は大きく、そして強い。しかしながら、10年後、20年後も今と同じように携帯市場は成長するとは限らない。携帯電話同様、日本の電子書籍マーケットもガラパゴス化させないために、「電子書籍=携帯コミック」という枠をいったん外し、次の一手を考える時期に来ている。
奇しくもiPad 賛成とiPad 慎重と、2つの意見が聞けたが、いずれもコンテンツは食い合うのではなく、「共存していく」という同じような見解が聞けたのも興味深い。
電子書籍は、出版ビジネスに大きな問いを投げかけている。
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