テクノロジストが夢見る国家と奇妙なニューロダイバーシティ
第4回 パランティアのニューロダイバーシティ言説

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

近年、シリコンバレーではニューロダイバーシティが革新性や創造性の源泉として語られるようになった。パランティア社もその代表例であり、アレックス・カープは神経学的差異を持つ人々の価値を積極的に称揚している。しかし本来、ニューロダイバーシティは障がい当事者による社会的包摂の要求から生まれた概念であった。本節では、その理念がテック・エリートの自己神話化や国家的プロジェクトへの動員へと変質する過程をたどりながら、「有用性」による承認と選別の問題を考察する。

 

目次

ブランディングに用いられるニューロダイバーシティ

アスペルガーの名における命の選別

 

ブランディングに用いられるニューロダイバーシティ

パランティア社およびそのCEOアレックス・C・カープは、自社の企業文化や採用哲学を語る際に“ニューロダイバーシティ”を積極的に援用する。実際に同社は“Neurodivergent Fellowship(ニューロダイバージェント・フェローシップ)”という採用プログラムを設けており採用者はAIやデータ分析、ソフトウェア開発の実プロジェクトに従事し、役割や経験により総報酬は約20万ドルに達するとされている。ここではASD(Autism Spectrum Disorder:自閉症スペクトラム)やADHDを持つ人材を「型破りな問題解決者」として評価することで、シリコンバレーのテック企業が自社文化へのフィットを重視する採用への対抗軸として提示する作用をもたらしている。カープ自身に幼少期から重度のディスレクシア(失読症)があることは当人も公言し広く知られているが、ここでは属人的な動機は問わない。

カープは先述の博士論文においてハーバーマスの弟子であるアクセル・ホネット『権力の批判:批判的社会理論の新たな地平』(河上倫逸訳/法政大学出版局)をひいている。ホネットの承認論は、差異を持つ者──たとえばニューロダイバージェント──が社会的に包摂・承認される構造的条件を問うものだが、カープの言説においてニューロダイバーシティは“軍事・諜報産業に奉仕する能力”として読み替えられる。承認の条件が“有用性”にすり替わっており、これはホネット『物象化 承認論からのアプローチ』(辰巳伸知・宮本真也訳/法政大学出版局)において批判する「道具的理性による承認の歪曲」そのものにみえる。解放の言語が支配の道具になるという図式だ。

カープの論理は、AIが多くのホワイトカラー職を陳腐化させるなかで、アーティストのように物事を異なる角度から見て、独自のものを構築できる人が成功するというものだ。彼はX(旧Twitter)でも「神経学的に多様な人々(私自身を含め)が、アメリカの未来を不釣り合いに大きく形作るだろう」と投稿している。

同じくニューロダイバージェントであることを自己ブランディングに用いている人物に、ASD者を自称するイーロン・マスクがいる。彼は「人間をエミュレーションモードで動かすのが結構得意だ」「電気自動車を再発明し、人々を火星に送る人間が、まともでクールな普通の奴だと思った?」という台詞は、ジョークの体裁をとりながら、自分の認知的差異こそが偉業の源泉だという主張を埋め込んでいる。マスクの場合、正式な臨床診断を受けたという公的な記録はなく、本人による自己申告であるという点も強調しておくべきだろう。

ここでは、ニューロダイバーシティという概念が、本来は障がいを持つ人々の当事者運動から出てきた社会的包摂を求める語彙だったものが、テック・エリートの自己神話化のための例外性の証明へと意味をずらされていくという変容が起きている。こうしたブランディングに共通するのは、神経学的差異を天才性や非凡性の証明として機能させること、苦難・排除・支援の必要性という当事者運動の文脈を消去すること、結果として成功した当事者だけが可視化される選択的表象である。あるマイノリティが、有用性を軸に判断されることは、同時に数多くの当事者を無用とする作用をもたらす。次節では、かつてASDの一類とされていたアスペルガー症候群の源泉にあった不幸な選別について記したい。

 

 

アスペルガーの名における命の選別

その名がアスペルガー症候群の症例に用いられた医師ハンス・アスペルガーは、長らくナチスから障害児を守った英雄的小児科医として語られてきた。これは、ASDの研究に従事していたイギリスの精神科医ローナ・ウィングが1981年に、1944年に書かれたアスペルガーの論文を再発見し“アスペルガー症候群”という名称を確立したことに起因する。本連載第8回「出生と生産性をめぐるアポリア」において、障がいのある人々を安楽死させる“T4プログラム”について記したが、アスペルガー医師はこの論文で自閉的精神病質者のうちに有用な子どもがいることを指摘している。かくして彼は「ナチス政権下で危険を冒して、はみ出し者の子どもたちのために身を捧げた」人物として記憶されてきた。しかしこの英雄譚は、2018年に2つの研究によって決定的に覆された。1つはウィーン医科大学の医学史家ヘルヴィヒ・チェコの研究で、2009年にアスペルガーの没後30年シンポジウムの講演を依頼されたことがきっかけでウィーンの公文書館を渉猟して保存状態のよい臨床記録を発見した。彼が見つけたナチス党のファイルは、アスペルガーが党員ではないにもかかわらず、その忠誠心を保証する内容だったという。

もう1つはイーディス・シェファー(Edith Sheffer)の著作『アスペルガー医師とナチス 発達障害の一つの起源』(山田美明訳/光文社)に記された内容である。

シェファーはカリフォルニア大学バークレー校ヨーロッパ研究所の上級研究員で、自閉症の息子を持つ歴史家だった。アスペルガーの英雄的評判を信じていた彼女は、ウィーンの公文書館で最初に見つけたファイルから、アスペルガーが障害児を実際に殺害したナチスの計画に加担していたことを目にしたという。

判明した事実は次のようなものだ。アスペルガーは、遺伝的に社会的同調が不可能とみなされた子どもや身体的・心理的欠陥を持つとされた子どもたち400人が飢餓と致死注射によって殺害され、その死は肺炎によるものと記録された施設アム・シュピーゲルグルントに、子どもたちを直接的・間接的に送致していた。具体的な物的証拠として、アスペルガーの署名が、彼のウィーンの診療所から学習障害児をシュピーゲルグルントに移送する命令書に残されている。

シェファーの議論で重要なのは、アスペルガーの行為を単なる便宜的協力ではなくイデオロギー的同調として読み解いた点だ。シェファーは、アスペルガーが“均質なアーリア人民”というファシスト的理想に適合できない子どもたちを排除するというナチスの目標を支持していたと論じている。つまり“アスペルガー症候群”という概念そのものが、ナチスの“共同体に適応する能力(Gemüt)”を診断的尺度とする発想から生まれたという見方である。「自閉的精神病質者」という1944年の論文での分類は「使える子ども(=救える)」と「使えない子ども(=殺してよい)」とを選別する論理の中で形成されたという主張だ。

カープの言説は、この選別の論理と──意図せずにせよ──構造的に連続している。そこでは“パランティア社で働ける種類の”ニューロダイバーシティだけが称揚される。『テクノロジカル・リパブリック』でカープは、西洋民主主義の防衛を担うテクノ・エリートの育成を論じる。ニューロダイバーシティはその文脈では“尖兵としての差異”として機能する──差異は包摂されるのではなく、動員されるのだ。

これはある意味で、フランクフルト学派の始祖マックス・ホルクハイマーとテオドール・アドルノが『啓蒙の弁証法: 哲学的断想』(徳永恂訳/岩波文庫)で厳しく批判した「啓蒙の弁証法」の反復だ──解放の言語が支配の道具になる。

 

第5回につづく