テクノロジストが夢見る国家と奇妙なニューロダイバーシティ
第2回 フランクフルトから遠く離れて

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

ユルゲン・ハーバーマスは、公共圏と熟議民主主義を軸に、近代社会における民主主義の条件を問い続けた思想家である。一方、パランティアCEOアレックス・カープもまた、技術と公共性の関係に強い関心を寄せてきた。本節では、カープの思想形成に影響を与えたハーバーマスの理論を手がかりに、『テクノロジカル・リパブリック』の背後にある政治哲学を読み解き、AI時代の民主主義と国家のあり方を考察する。

 

目次

ユルゲン・ハーバーマスという社会理論家

ハーバーマスとカープを比較する

 

ユルゲン・ハーバーマスという社会理論家

アレックス・C・カープは、ハヴァフォード・カレッジを卒業後、スタンフォード大学で法学博士号を取得した。のちに共同でパランティア社を設立するピーター・ティールとは、スタンフォード大ロースクールで同窓である。ティールは当時について「カープはいつもマルクス主義の労働疎外の理論について語り、それが我々の周辺の全ての人々に当てはまると言っていた」とインタビューで語っている。その後ドイツにわたり、ゲーテ大学フランクフルト校で新古典派社会理論の博士号を取得している。同大学にはフランクフルト学派の哲学者ユルゲン・ハーバーマスがおり、カープはハーバーマスのゼミに参加したこともある。カープの博士論文「生活世界における攻撃性:ジャーゴン・攻撃性・文化の連関の記述によるパーソンズの攻撃性概念の拡張(Aggression in der Lebenswelt)」の草稿についてハーバーマスは積極的な評価はしておらず、同論文の指導はハーバーマスが引き合わせた社会心理学者カローラ・ブレーデが務めた。

2026年3月に物故したユルゲン・ハーバーマスは、フランクフルト学派第二世代の中心人物とされ、ナチズムと第二次世界大戦の経験を背景に、民主主義はいかにして成立し維持されるのかという問いを追究してきた哲学者・社会理論家である。ハーバーマスの思想の中心にあるのは“公共圏”と“コミュニケーション的合理性”という概念である。彼は『公共性の構造転換』(細谷貞雄・山田正行訳/未来社)において、市民が自由かつ対等な立場で議論し、公共的な意見を形成する場としての公共圏を分析した。近代民主主義は単に選挙制度によって支えられるのではなく、市民による討議と意見形成によって成立すると考えたのである。さらに『コミュニケイション的行為の理論』(河上倫逸・平井俊彦訳/未来社)では人間の合理性を、目的達成のための“道具的合理性”と、相互理解を目指す“コミュニケーション的合理性”に区別した。市場や官僚制は効率性を追求するが、民主主義社会の基盤は人々の対話と合意形成にある。彼は、経済や行政の論理が生活世界へ浸透し、人間同士のコミュニケーションを圧迫する状況を「生活世界の植民地化」と呼び、近代社会の重要な問題として批判した。

こうした議論は「熟議民主主義」の理論へと発展する。民主主義の正統性は権力や多数決そのものではなく、市民が自由に討議し、その過程で形成された合意に由来するという考え方である。このためハーバーマスは、理性や普遍性を否定するポストモダン思想に批判的であり、近代を「未完のプロジェクト」と呼んで、その理念を再構築する必要性を訴えた。

一方でハーバーマスは、ドイツの歴史的責任からイスラエル国家の存続を一貫して支持してきた。2023年のガザ紛争後には、イスラエルの自衛権を認めつつも、軍事行動は国際法と人道的原則によって制約されなければならないと主張した。ホロコーストへの反省を出発点としながらも、普遍的人権の観点から国家権力を批判的に検証する姿勢は、彼の思想の特徴をよく示している。

 

 

ハーバーマスとカープを比較する

一方『テクノロジカル・リパブリック』でカープは、テック企業は公共的使命を持つべきであり、民主主義社会を防衛する責任があるということ、またエンジニアは政治的中立を装うべきではないということを繰り返し論じる。この点では、技術を市場の道具としてだけでなく、公共的秩序の一部として捉えるという発想において、ハーバーマス的な問題意識との共鳴をみることができる。

しかし、ハーバーマスが民主主義の正統性は自由で対等な討議から生まれると考えたのに対し、カープは民主主義を守るためには国家とテック企業が積極的に協力しなければならないと主張しており、ここに決定的な差異がある。ハーバーマスが“熟議(deliberation)”を重視したのに対し、カープが重視するのは「実効性(effectiveness)」である。

図式的に対立軸を示すと、ハーバーマスが討議による正統性と公共圏の重要性を主張したのに対し、カープは技術による安全保障と国家能力を対置する。国家能力とは、国民や企業から租税や資源、人材を動員する強制的能力、社会のインフラを整備して法や制度を社会の隅々にまで浸透させる管理的能力、国民や企業のニーズを的確に汲み取り、外交や経済戦略などの環境変化にアジャストする応答的能力の3者からなる強制力である。またハーバーマスが重きを置くコミュニケーションや市民社会に対して、カープはデータ分析と、企業および国家を重視している。

このような見立てのもとでは、カープの主張はハーバーマス以後の公共圏論を国家安全保障とAIの時代に再構成しようとする試みとして読むことができる。それは同時に、公共圏の形成について、市民の討議ではなく(パランティア社のような)技術インフラに依存させてしまう危険を胚胎することにもなる。この点においては、同書はハーバーマスよりもむしろ前出のカール・シュミット的な政治観や、共著『批判理論と社会システム理論』(佐藤嘉一訳/木鐸社)において論争を繰り広げたニコラス・ルーマンのシステム合理性に近い側面を持っているともいえる。

第3回につづく