テクノロジストが夢見る国家と奇妙なニューロダイバーシティ
第1回 テクノロジストの政治マニフェスト

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

2026年に邦訳された『テクノロジカル・リパブリック』は、AI時代の国家戦略論として注目を集めている。しかし本書が描くのは、単なる技術政策ではなく、国家・軍事・テクノロジーを結びつける新たな統治構想である。本節では、国家と公共の同一視、技術者エリートへの期待、そして“例外状態”の論理という3つの前提から同書を読み解き、AI時代の権力と民主主義の緊張関係を考察する。

 

目次

テクノロジストが国家に参与するとき

『テクノロジカル・リパブリック』の依って立つ3つの前提

 

テクノロジストが国家に参与するとき

パランティア・テクノロジーズの共同創業者・CEOのアレックス・C・カープと同社CEO室コーポレートアフェアーズ責任者兼法務責任者ニコラス・W・ザミスカの共著『テクノロジカル・リパブリック:国家、軍事力、テクノロジーの未来』(村井章子訳/日本経済新聞出版)が2026年3月に邦訳され、大きな話題を呼んでいる。同書は一見するとAI時代の国家戦略論である。しかし本書を注意深く読むと、それは単なるテクノロジー論ではなく、アメリカという国家の再建をめぐる政治哲学であり、さらにいえば「誰が未来を統治するのか」をめぐるマニフェストであることがわかる。

本書の主張は明快だ。シリコンバレーの頭脳は国家的課題の解決に貢献すべきだったにもかかわらず、広告最適化やSNS、消費者向けサービスに参入したことで、その使命を失っている。中国との競争が激化し、AIが安全保障の中核技術となった現在、優秀な技術者たちは再び国家へ奉仕すべきだという。マンハッタン計画やアポロ計画のような国家的プロジェクトを復活させるべきだというのである。

この議論には一定の説得力がある。特に生成AIの登場以降、技術開発は国家安全保障と不可分なものとなった。半導体、AI基盤モデル、量子技術、宇宙開発などは、もはや市場競争だけで語りつくすことのできる領域ではない。日本でも経済安全保障推進法やAI戦略会議の議論を見る限り、同様の問題意識が共有されている。

 

 

 

『テクノロジカル・リパブリック』の依って立つ3つの前提

しかし、本書には看過できない前提が埋め込まれている。本節ではまず3点に絞って示したい。

第1に国家と公共について。本書は“国家”と“公共”というタームをほぼ同義に扱っている。国家の安全保障を強化することが公共善であるという前提は、本書全体を貫いている。しかし近代民主主義において国家と公共は必ずしも一致しない。国家が監視能力を強化することは、同時に市民の自由を侵食する可能性を含んでいる。国家の利益と個人の権利との緊張関係こそが近代政治の核心であったはずだ。この点はパランティアという企業の歴史とも重なる。同社はテロ対策や軍事作戦、移民管理などに技術を提供してきた。そこで開発されたデータ統合技術は安全保障上の価値を持つ一方で、監視社会のインフラにもなりうる。本書ではその2面性が十分に論じられない。技術の公共性が、国家目的へと回収されているのである。同社の危うさについては後述する。

第2に、同書が垣間見せる技術者エリートによる統治への期待について。著者たちは民主主義そのものを否定しているわけではないが、議論の随所には、最も優秀な技術者が最も重要な意思決定を担うべきだという発想が現れる。シリコンバレーのビッグテック──ただしパランティア社は除く──についての執拗な苦言も、その期待の裏返しといえる。そこでは市民的熟議や社会的合意形成よりも、技術的合理性が優先される。この構図は20世紀の、複雑化した社会を専門家が管理するというテクノクラシー(技術官僚主義)を想起させる。しかし技術的に正しい解決策が社会的にも正しいとは限らない。原子力発電、遺伝子工学、監視技術などをめぐる論争はその典型である。本連載第13回「AIの倫理とその再配置を考える」に示したように、技術は社会から独立して存在するのではなく、多様なアクターの交渉によって成立するネットワークの産物である。本書では、技術者は問題解決者として描かれる一方で、市民はほとんど登場しない。社会は統治の対象として現れるのであって、共創の主体としては描かれないのだ。

第3に、本書はAIをめぐり“例外状態”の論理を採用していることだ。中国との競争、軍事技術の進展、AIによる地政学的変化──こうした危機意識は現実的な側面を持つ。しかし危機が強調されるとき、しばしば民主的統制は後景へ退く。「非常時だから迅速な判断が必要だ」という論理である。これはカール・シュミットが『政治神学:主権の学説についての四章』(中山元訳/日経BPクラシック)において論じた例外状態の政治学に近い。危機が恒常化すれば、例外は日常となる。そしてAIは、まさにそのような恒常的緊急事態を生み出しやすい技術である。国家間競争が続く限り「もっと強力なAIを」「もっと大規模な監視を」という要請は終わらない。その結果、本書はAIガバナンスの議論でありながら、実際にはAIの民主的統制よりもAIによる国家能力の強化へと重心を移している。

興味深いのは、本書がテクノロジーへの信頼を回復しようとする試みでありながら、その背景には現代社会の価値の空洞化への不安があることだ。カープは技術者たちが広告配信やエンターテインメント産業に向かったことを批判する。しかしその批判は裏返せば、「私たちは何のために技術を作るのか」という問いでもある。

その意味で『テクノロジカル・リパブリック』は、AI時代の“フロンティア神話”の再演と言えるかもしれない。かつて西部開拓が国家の使命として語られたように、今度はAIと防衛技術が新たな開拓地として位置づけられる。だが21世紀の課題は、冷戦期のような国力競争だけではなく、国家を超える問題が山積している。必要なのは技術者エリートによる統治なのか、それとも技術と社会の新たな関係性なのか。『テクノロジカル・リパブリック』は、その答えを示す本ではない。むしろ本書は、生成AI時代において軍事・安全保障・ビッグテックがどのような世界観を必要としているのかを露わにするテキストであり、その意味で本書はAI論として読むよりも“AI時代の権力論”として読むべきである。

第2回につづく