ブラザー工業プリンティング・アンド・ソリューションズ事業LM開発部の挑戦
第1回 製造業におけるナレッジマネジメントの課題
ブラザー工業では2018年からAI活用を掲げ、エンジニアのリテラシー向上に取り組んできた。2024年、同社プリンティング・アンド・ソリューションズ事業LM開発部はAIベンチャーのトリプルアイズと協働することで自社の製品情報検索のRAGシステム開発に取り組んだ。製造業の現場におけるAI導入における課題について、同開発部の水谷俊介氏と成瀬由基氏に話を聞いた。
【ブラザー工業株式会社】
ブラザーグループは、1908年にミシンの修理業として創業し、以来、110年を超える歴史の中で、事業の多角化、グローバル化を推進。あらゆる場面でお客様を第一に考える”At your side.”の精神で、優れた価値を迅速に提供することを使命としている
【プリンティング・アンド・ソリューションズ事業LM開発部】
家庭用から業務用まで豊富なラインアップを誇るラベルライター・ラベルプリンターなどを設計・開発。お客様の多様なニーズに対応している。
目次
委託ではなく協業でAIの原理原則を理解
IT批評編集部(以下、─)お二人の部署と業務について教えてください。
水谷俊介氏(以下、水谷) プリンティング・アンド・ソリューションズ事業LM開発部と申しまして、ラベルをプリントできる持ち運び可能な小さめのプリンターを開発する部門になります。例えばレジの横にあるような高速のプリンターなどの業務用途のプリンターとか、身近なところでは「ピータッチ」といって、家庭用のラベリングプリンターのように、皆さんがお手元で運べるようなプリンターで、モバイルというのは持ち運べるという意味ですね。その部門で設計者として印刷を行う上での制御プログラムのアルゴリズムなどを検討しています。
トリプルアイズのAIラボチームと協業で製品情報を検索するためのRAG1システムを構築されたわけですが、委託ではなく協業という形になったのはどういう理由からですか。
水谷 僕らが普段研究しているコア技術については、基本的には原理原則から理解して、設計ノウハウを何十年も貯めていて、それを運用する時も技術的に最適化して製品として送り出しています。一方、外部技術については、内部技術と同じレベルで原理原則まで把握するのは困難でした。原理原則を理解していないから、技術をアレンジするという発想にならないところが、部門のなかでの課題としてありました。
今回の場合の外部技術というのはAIを指していると思うのですが、原理原則を理解したいというのは、可能性があると思われたのか、それとも危機感から発しているのか、どちらなんでしょうか。
水谷 危機感ですね。
ChatGPTを使うとしても、ツールの中で仕事が完結して、拡張性が生まれないということですね。
水谷 エンジニアなので、原理原則を理解してアレンジして活用していくことにならないとダメだと思いまして、じゃあまず勉強から始めようということで、パートナーを探し始めたという経緯です。勉強するにあたって、困り事もあるからそれを題材にしようというのが流れでした。AIに対する学習機会と実用を兼ねてお願いしていくという感じでした。その困り事の一つが社内製品情報の引き出し方でした。
AIはほぼオープンソースというか、触れるものがたくさんあって、個人でやろうと思ったらできるなかで、今回のように他社と組むことのメリットはなんでしょうか。
水谷 結局、社内リソースは有限なので、新しい外部知識や視点を取り込むには、伴走してくださるところと一緒にやっていくのが効率的だなと思っています。
外部の企業と勉強会みたいな形で一緒にやるというのは、これまでにもあったんですか。
水谷 もちろん部品メーカーさんとの内部技術の勉強会はよく開かれていますが、外部技術についてはハードルも上がるので珍しいと思います。
横断して課題を解決するためにRAGを構築
社内製品情報の引き出し方として、RAGシステムの構築に取り組まれたのですね。
水谷 はい。過去の技術情報が体系的には整理・保存されておらず、属人性が高いといった悩み事は抱えていました。
当然、技術情報はプロジェクトがあるごとに逐一記録は残してくわけですよね。
水谷 残しています。それは紙でも残すし、データでも残していくのですが、それが溜まってきても、なかなか検索して探し出すのが難しくなっていました。すぐに参照できないと、何度も同じミスを犯すということも起きるし、新しく入ってきた人間が即戦力になるように情報を提供できているかと言われると、十分ではありませんでした。情報検索の前に情報の整理自体も含めて課題として認識していました。
ナレッジマネジメントというかデータの扱い方は、何かルールを決めてやっているのですか。
水谷 そうですね。今回の活動を通して、AIが読みやすいようにしていくべきだと提言しています。例えば、今までエクセルやパワポだけで保管していた情報を、AIが読みやすいHTMLの記載方法に変えていこうというところで、取り組んでいます。
当初からRAGシステムの構築を目指していたのですか。
水谷 どういう技術を軸に勉強していくか検討したときに、トレンドある生成AIであったり、トリプルアイズ社の専門である画像認識などがテーマとして出てきて、その中で、やっぱり生成AIを使えば技術情報の検索ができるだろう、やるならRAGだよねという感じで決まりました。
2024年の春ですと、ちょうどRAGが盛り上がっているころですね。
水谷 いろんな部署が持っているドキュメントの検索だったり、カスタマーセンターへの問い合わせの検索だったり、特許の過去の事例などの横断的な検索だったりという、複数の課題を提示した際に、トリプルアイズから「RAGの基盤をつくってしまえば、それらを総括的に活用できますよ」という提案を受けて、基盤になるRAG開発をスタートすることになりました。
勉強会はどのぐらいの頻度で行われたのですか。
水谷 月に1回、1日かけてディスカッションをやるというのが数ヶ月続きました。
勉強会の内容はどういう感じなんですか。
水谷 技術検証が主になります。トリプルアイズから個別の課題に対して「こういう技術があるけどどうですか」という提案があり、それがどう課題解決に結びつくのか議論するという形でした。実装時には、僕らもエンジニアなので、実際のコードを触りながら、「ここをこうやったらこうなるよね」という話を一緒にさせてもらいながら進めました。というのも、実装はしてもらっているんですけど、自分たちで書き換えられるようにならないと意味がないので、裏側もちゃんと理解できるように一緒にやらせてもらうというのが絶対条件でした。
本来の意味での実装ということですね。
水谷 トリプルアイズは、ブラザーがホームページ上に公開している取り扱い説明書を使って、こういう形でRAGの仕組みがつくれますというところまでお伝えしてもらいました。AWSのPythonコードの設計は一緒に進めさせていただいて、実際の社内の環境への実装や社外秘のデータの登録は自分たちで実施しました。
なるほど。外部に社外秘の情報が出ることがないわけですね。まさに伴走者としてAIラボを活用したわけですね。
水谷 マネジャーの指令が「一緒に走れ」だったので(笑)伴走してくださるところは価値として重要視していました。