サイケデリック/アシッド・サイエンス
第4回 意識の解明を目指した危険なサイケデリック志向

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

前回は“ハルシネーション”というワードがタブー視されている現状と、故意に幻覚をもたらすことが医学の発展に寄与した事例を紹介した。今回は、それらが隆盛を極め、そして科学界から放擲を受けた経緯と時代背景について考察する。

目次

DNAの二重螺旋構造発見の光と影

冒頭に、ハーバード大学で哲学と社会学を専攻していたデイヴィッド・ベイカーがDNAの二重螺旋構造に触発されて専攻を生物学に転換したことを書いた。かれに“理転”を決意させた『二重螺旋』を著したジェームズ・ワトソンとともにDNAの二重螺旋構造を解明したフランシス・クリックが、幻覚剤LSDを使用したことで二重螺旋の着想を得たという説もある。これには諸説あり、後年のクリックがLSDの使用を自身で語ったという確からしい証言はあるものの、DNA構造の発見以前なのかそれ以後かは曖昧である。ワトソンとクリックとともに1962年ノーベル医学・生理学賞を受賞したモーリス・ウィルキンスが、キングス・カレッジ・ロンドンの同じ研究チームにいた女性研究者ロザリンド・フランクリンの所有していたDNAの構造が螺旋状であることを明確に示すX線解析写真を無断で持ち出してケンブリッジ大学にいたワトソンとクリックに見せ、それが二重螺旋構造モデルの完成に大きく寄与したとされる。ワトソンとクリックが、こうした倫理的な後ろめたさを糊塗するためか、科学者的ヒロイズムに満ちた言動を繰り返した記録もあり、LSDの使用もその一類として語られたとも考えられる。ロザリンド・フランクリンはその功績を評価されることもなく、また卵巣がんのため1958年に37歳で物故したために、ノーベル賞受賞のキーパーソンの1人としてその栄誉に浴することは能わなかった。

クリックのLSD使用そのものについては信憑性が高い証言が数多く残されている。DNA研究を進め、ヒトゲノム計画を推進するワトソンとは対照的に、クリックは意識の構造――のちにデイビッド・チャーマーズにより」意識のハード・プロブレム」と名づけられる――に関心を抱き、意識は神経回路によって説明可能な物理現象であるという還元主義的神経科学の立場をとるようになる。『DNAに魂はあるか 驚異の仮説』(中原英臣訳/講談社)には人の意識・心はニューロン・ネットワークの発火による相互作用であることが記されている。クリックはこの研究に際して、LSDを用いて意識の拡張をはかっていることを周囲に公言していたという。また共同研究者であった神経科学者クリストフ・コッホは『意識の探求 神経科学からのアプローチ』(土谷尚嗣、金井良太共訳/岩波書店)ではハード構成論者としての立場を明確にするとともに、続く『意識をめぐる冒険』(土谷尚嗣、小畑史哉共訳/岩波書店)では、ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』(花本知子訳/亜紀書房)の主張するIIT(Integrated Information Theory:統合情報理論)を積極的に支持する姿勢をみせている。

二重螺旋 完全版

ジェームズ・D. ワトソン (著)

アレクサンダー ガン (編集)

新潮社

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DNAに魂はあるか: 驚異の仮説

フランシス クリック (著)

中原 英臣 (翻訳)

講談社

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意識の探求 上: 神経科学からのアプローチ

クリストフ コッホ (著)

土谷 尚嗣, 金井 良太 (翻訳)

岩波書店

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意識をめぐる冒険

クリストフ・コッホ (著)

土谷 尚嗣, 小畑 史哉 (翻訳)

岩波書店

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意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論

ジュリオ・トノーニ (著), マルチェッロ・マッスィミーニ (著)

花本知子 (翻訳)

亜紀書房

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科学におけるサマー・オブ・ラブの時代

コーネル大学で天文学者・天体物理学者として教鞭をとりつつNASAでSETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence:地球外知的生命体探査)を率いたほか、『コンタクト』(池 央耿・高見浩訳/新潮文庫)や『惑星へ』(森暁雄他訳/朝日新聞出版)などのSF小説、また『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(青木薫訳/新潮文庫)などの科学啓蒙書の著者としても知られるカール・セーガンは匿名の“Mr. X”名義のエッセイで、マリファナの使用により複雑な概念を視覚的・物語的に把握する直観を得ていたことを明らかにしている。

またCovid-19パンデミックのもとで、読者の多くがPCR検査を受けたことと思うが、このPCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)の発明者であるキャリー・マリス博士は、かつてLSDやマリファナを常用していたことを公言している。念のため附記すると、PCRは特定のDNA断片を急速に大量増幅する技術で、分子生物学や遺伝学においては欠くことのできないものとなっている。少量のDNAから増幅することができるため、ネアンデルタール人の骨や4万年前のマンモスの凍結組織、またロシア皇帝やイギリス王リチャード3世のDNAを同定するなどの成果ももたらされている。医学領域にもひろく用いられており、出生前診断のほか臓器移植の組織タイピングやがんの遺伝子分析、そして私たちにも馴染みの深い感染症の診断にも利用されている。PCR法の基本的アイデアについてマリス博士は「ガールフレンドとのドライブ中に突然“降ってきた”もので、私はLSDがそれを助けたと思っている」と公言している。かれはその直後に車を急停止させ、傍らの紙片に化学式を書き殴り、1983年に実験を成功させたのだという。氏は1993年にノーベル化学賞を受賞するが、財団からの打診は海辺でサーフィンに興じていた際に受け「もらう、もらうよ!」と狂喜乱舞したのだという。破天荒なエピソードは自著『マリス博士の奇想天外な人生』(福岡伸一訳/ハヤカワ文庫)に数多く記されているが、この著書の原題は“Dancing Naked in the Mind Field(心の野原を裸で踊る)”という、いかにもヒッピー的なタイトルである。

コンタクト 上巻

カール セーガン (著)

池 央耿, 高見 浩 (翻訳)

新潮社

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マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)

キャリー・マリス (著)

福岡 伸一 (翻訳)

早川書房

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アカデミーから追放されたサイケデリア

時代を19世紀にまで遡ると、自由連想法に基づく精神分析を創始したジークムント・フロイトは、脳の神経活動としての心理活動を学んだウィーン大学卒業直後にはコカイン研究に情熱を傾けており、臨床にもそれを用いていた。ヒステリー研究を経て精神分析を着想してからは、催眠療法とコカイン使用を放棄するが、研究の一部は『フロイト全集 1 1886-94年 失語症』(兼本浩祐他訳/岩波オンデマンドブックス)で読むことができる。

本連載の第13回「AIの倫理とその再配置を考える」では、ブリュノ・ラトゥールの論をひいて、ある学説について再現可能な定式化がなされると、そのプロセスが不可視化される“ブラックボックス化”について記したが、科学史におけるドラッグや幻覚体験の関与といった発見の生成過程は、まさに不可視化されるなかで黙認されていたようだ。

ドラッグによる変性意識が決定的にタブー視されたのは、ハーバード大学教育学部で臨床心理学の講師を任じられていたティモシー・リアリーの心理実験に起因するところが大きい。当初は人格構造やアイデンティティ形成、行動変容などに興味を抱いていたリアリーは、メキシコでマジック・マッシュルームに含まれる向精神成分シロシビンによる幻覚を体験したことから、同僚のリチャード・アルパートとともに、ドラッグによる人間の意識の拡張expansionと変容(transformation)を科学的に探究するハーバード・サイケデリック・プロジェクトを開始する。マサチューセッツ州コンコード刑務所の囚人にLSDとサイロシビンを投与して再犯率の低下を試みる“コンコード刑務所実験(Concord Prison Experiment)”や、学内の神学部の学生にシロシビンを投与し、神秘体験が誘発されるかを測定する“グッド・フライデー実験(Good Friday Experiment)”では、事前に薬物の投与を知らせずに行ったために倫理的責任が問われた。また学内外にLSDを配布したことや、研究内容が科学からかけ離れた神秘主義的・政治的に傾倒したことから、リアリーはハーバードを追放される。その後のリアリーは“Turn on, tune in, drop out.(目覚めよ、周波数を合わせよ、脱社会化せよ)”のスローガンとともに西海岸のヒッピー文化の偶像となり、サイバーパンク文化と接近したのちに、現実をハックするという意味においてインターネットをLSDの精神的遺産として称揚した。カリフォルニアのカウンター・カルチャーの熱狂がPCとインターネットの黎明期に大きく影響を与えた。いまなおシリコンバレーが先端IT技術の聖地となっているのは、このような経緯によるものだ。スティーブ・ジョブスがビル・ゲイツに「LSDを使ってみれば、君の製品のデザインはもっとよくなる」とアドバイスした逸話も有名である。

フロイト全集 1 1886-94年 失語症

兼本浩祐, 中村靖子 (編集, 翻訳)

芝伸太郞, 立木康介 (翻訳)

岩波書店

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