サイケデリック/アシッド・サイエンス
第2回 サイエンスにおける透明性と公平性、そして倫理

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

タンパク質構造を高精度に予測する“AlphaFold”と、自然界に存在しないタンパク質構造を設計する“Rosetta”。ここでは両者の機能と目的を比較したうえで、オープン・サイエンスと市民参加による透明性を貫き、生命科学における倫理をふまえつつ“Rosetta”の開発を主導したデイヴィッド・ベイカー教授の研究姿勢にスポットを当てる。

目次

サイエンスにおける透明性と公平性、そして倫理

2024年ノーベル化学賞がデイヴィッド・ベイカー教授に贈られたときに評価されたde novoタンパク質設計に活用されたのは、氏が主導して開発してきた“Rosetta”という計算プラットフォームで、先述の第14回CASPは“AlphaFold”と“Rosetta”の頂上争いでもあった。タンパク質の構造予測における結果は“AlphaFold”の圧勝だったわけだが、両者の設計思想や技術基盤、使用目的は大きく異なっている。以下に相違点を簡単に記す。

なにより大きな点は“AlphaFold”が既知配列の構造予測に特化したモデルである一方、“Rosetta”はde novo設計に主眼をおいたモデルであることだ。換言すれば“AlphaFold”が自然界にあるタンパク質について極めて高精度な構造予測を行うのに対して、“Rosetta”は自然界にはないタンパク質を新たに設計するために、既存のタンパク質の構造予測を行うのである。また“AlphaFold”はTransformerによる深層学習により構造予測を行うが、“Rosetta”はフィジカルなエネルギー関数と確率論的モデリングによるシステムである。“AlphaFold”の開発主体はGoogle社傘下のGoogle DeepMindによる中央集権的な開発であり、“AlphaFold2”はオープンソース化されたが、訓練済みモデルには制約も設けられている。“Rosetta”の開発は、ベイカー教授が主導する RosettaCommons の国際共同研究チームにより、非中央集権的なネットワーク型の開発と運用がなされており、研究・教育目的の利用は無料のオープンソースとなっている。

そもそもの開発目的が異なる以上、ユースケースにおける役割も異なっており、優劣をつけることは無意味である。がん治療を例に取ると“AlphaFold”はがん細胞由来の変異タンパク質の構造予測やスクリーニングに最適であるし、“Rosetta”は抗体やペプチド、免疫系などの構造設計に有用だ。またウイルスの設計においては“AlphaFold”は抗原構造の予測に効力を発揮し、“Rosetta”は抗原を配置して免疫応答を最適化することに長けている。

現在では“AlphaFold”と“Rosetta”とが研究・開発において相補的に用いられているほか“AlphaDesign”や“RFdiffusion”など、両者を接続したハイブリッド型の新規タンパク質設計プラットフォームの開発も進められている。

ヒポクラテスから遠く離れた生命科学のもとで

前項のような“AlphaFold”と“Rosetta”との相違点、そしてGoogle DeepMind社とベイカー教授との立場を踏まえたうえで、改めてベイカー教授のスタンスについて考えてみると、そこに研究当初から営利/非営利といったレベルに留まらない倫理的な態度が貫かれていることが看取できる。以下にその例を挙げてみたい。

“Rosetta”開発や de novo タンパク質設計については、その目的を疾病の治療やワクチンの開発、公衆衛生の向上といった公益であると明確に位置づけている。“科学の中立性”という名のもとに研究成果の社会的影響を第三者に委ねる科学者が多いなかで、この態度は稀有である。実際に、COVID-19のもたらしたパンデミックでは、実際に自己集合型ワクチンナノ粒子を開発し、その成果を非営利で世界中の公衆衛生機関と共有した。

またベイカー教授はde novo タンパク質設計が創薬にも兵器にも利用されるデュアルユースの問題について認識したうえで、研究の透明性や公開性を担保するオープン・サイエンスの理念のもとで、衆人環視のもとで研究成果が監視されることを実践している。氏の主導のもとで“Rosetta”を開発する分散型の研究ネットワーク“RosettaCommons”は、世界中の研究者がソースコードを共有することで、軍事機密化や企業独占の回避を意図している。

また先述したゲーム“Foldit”において平易なインターフェイスで非専門家の市民がタンパク質の折りたたみ問題を解くプロセスに参加できることは、科学と社会の境界を開く“参加型倫理的科学(participatory ethical science)”の先駆として評価することができる。本サイト2024年6月に掲載したインタビューで馬場雪乃氏も言及している市民参加型科学(シチズン・サイエンス)による知の民主化やアクセス性、それに共創性についても当初から自覚的だったことがわかる。本連載でも2025年5月公開の“AIの倫理とその再配置を考える”において、ブルーノ・ラトゥールを引きつつ、ひとたび科学的事実が証明されると、そのプロセスは捨象される“ブラックボックス化”について取り上げたが、ベイカー教授のシチズン・サイエンスの実践は一定の――少なくとも GitHub にアップロードするだけよりは――透明性が期待できる。

de novo タンパク質設計についてその可能性を語りつつ「自然を模倣し再設計することは、人間の健康や福祉の向上を目的とした応用であり、宗教的・哲学的な傲慢さとは異なる」(2020年New Yorker誌インタビュー)のように、神のような全能感ではなく、未知なことに満ち溢れた世界への畏敬と部分的理解を重ねることの大切さを繰り返し発言するベイカー教授のスタンスは、医療者の“ヒポクラテスの誓い”をはじめ、生命に携わる者は当然持ち合わせるべき倫理感ではある。しかしシンギュラリティの到来を言祝ぐトランスヒューマニストのビッグマウスに馴化した私たちには、それが殊更に謙虚なものとして映る。