エンタメ社会学者・中山淳雄氏に聞く
第5回 「推し」と「即興」がもたらすコンテンツの進化

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

「推し」文化は、単なる応援を超え、個人の居場所や精神的な救済を生み出す新たな社会現象となっている。テクノロジーの進化とともに、即興性が際立つ「今ここ」のライブ体験が求められる背景とは。

中山 淳雄(なかやま あつお)

エンタメ社会学者。コンテンツの海外展開がライフワーク。事業家(エンタメ企業のコンサルを行うRe entertainment)と教員(早稲田・慶應・立命館)、行政(経産省コンテンツPjt主査、内閣府知財委員)を兼任。東京大学社会学修士、カナダMcGill大学MBA修士。リクルート・DeNA・デロイトを経て、バンダイナムコスタジオ・ブシロードで、カナダ・シンガポールでメディアミックスIPプロジェクトを推進&アニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を担当。

著書に『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)『エンタメビジネス全史』『クリエイターワンダーランド』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』『エンタの巨匠』(以上、日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』『ヒットの法則が変わった』(以上、PHPビジネス新書)『ボランティア社会の誕生』(三重大学出版会)など。

目次

「推し」という行為がエンパワーするもの

桐原永叔(以下、――)中山さんが2021年に上梓された『推しエコノミー 「仮想一等地」が変えるエンタメの未来』(日経BP)を読ませていただいて、「推し」の持つ宗教性のようなものについて考えました。自分が依存する対象として神様も仏様もない現代のなかで、本来の意味で「偶像」に対して帰依する、応援する、この人のために何かすることによって、浄化される作用があるのではないかと思ったのです。

中山 普通に社会生活を送っている人間にとって、アバンギャルドな存在、例えばネズミ小僧とか石川五右衛門とか、ギリギリグレーだけど自分にはできない何かをやっている人間に対して、半分ヒーロー視するとこはあります。今だとガーシーとか与沢翼とかですかね。自分たちを縛る社会のルールを嘲笑して超克してくれる存在に、カタルシスを覚えるんじゃないかと思います。

自分がアイドルになれないまでも、推すことによって浄化されたり、居場所を見つけられたり、コミュニティもできる。

中山 日本人はとにかくゴシップが好きです。他の国に比べると人種や生き方の多様性が少なくて、かつ緊密な人間関係のなかで共通する話題を常に求め、しかもそれが常に入れ替わる。ぱっと数字は出てこないですけど、日常におけるニュースに対しての会話量を調べると、日本がダントツに多いのです。ハンドルネームやアバターの使用率も多いですし、匿名的な“複アカ”も本当に多いですよ。たとえば「松本城推しコミュニティ」みたいに、推しの対象にならなかったものですら、みんなが推してコミュニティ化するような時代になってきています。

救済を求めているからこそ、裏切られたときの有名人に対してのバッシングも厳しいのかなと思ったりします。

中山 常に反作用ですね。バズるがゆえに、外すときは累乗的に叩きにまわるんでしょうね。

カーツワイルとかハラリの本を読むと、完全にAIは神様の代わりのような存在として議論されています。この生きづらさのなかで、何か帰依するものとしてテクノロジーやAIがあり、アイドルもあるのではないか、世相としては繋がっているのかなと。

中山 ちょっと前までは、VRだったりメタバースだったりWEB3がその手の信仰の対象でした。10年ぐらいで3~4回転みたいにコロコロ変わっています。

それもテクノロジーが加速しているからこそですね。

中山 神に祭り上げて、いずれ失望の谷が来て、入れ替わったと言いはじめることの繰り返しですね。

テクノロジーでは再現できない「イマ・ココ」が盛り上がった背景

中山さんは即興性やライブの強さみたいなことも分析されていますが、これも今の時代で重要なキーワードだと考えています。というのも、テクノロジーの進化が速くて、先のことが見えなくなって計画が立たないなかで、即興性への憧れみたいなことが、コンテンツにも端的に現れている時代なのかなと思うんですけど、いかがですか。

中山 そうですね。僕はバランスを取るためのライブコンテンツ化だと思っています。2013年ぐらいから10年ぐらいかけてアーカイブ性も再現性もある「イツデモ・ドコデモ」なデジタルコンテンツが浸透してきました。GAFAMが日本でも席巻します。でもそうしたデジタルの利便性とともにまったく逆に「イマ・ココ」のライブコンテンツへのニーズが高まったんですよね。これって、1920年代のアメリカで映画が席捲して広がっていったときに、全く同じタイミングでライブ性の高いブロードウェイミュージカルが隆盛に向かったことと相似形だなと考えています。映像で作り込んだ素晴らしいものが人気を博していくときに、その真逆で作り込んでいない、その場で即興的に演じられるものが求められてくるんですね。テクノロジーだけでは再現できない「イマ・ココ」が盛り上がった背景をそう捉えています。

完全にタイムシフト、プレイスシフトが起きて「どこでもいつでも」大量に動画が見れる状態になると限界効用の逓減が起きる。時間とコンテンツでは、時間の価値が相対的に高くなる。だから倍速視聴になるんだろうと思うのですが、確かに「イマ・ココ」という再現性のないものの希少性は常に残りますよね。

中山 そうなんですよね。「イツデモ・ドコデモ」は短尺化していって、効率化されて消費されるんですけど、逆に「イマ・ココ」にしかないものにはめちゃめちゃ時間をかけたりして、非効率を味わっている感じがします。

効率性がこれだけ求められる時代に、非効率このうえない。ライブを見に行くための準備にすごく時間をかけたりしています。

中山 宝塚を見に行くために、半日かけて美容室に行ったりする。下準備や衣装も含めてコンテンツの一部で、トータル時間で考えると実は「安い」とも感じられる。

なんなら選びに選んでお土産まで買っていくわけです。先が見えなくなった時代に、再現性の高いものものよりも、そうじゃない「イマ・ココ」に惹かれる人たちが現れているというのは面白いですね。再現性や効率といったもの以外を求めています。

中山 「短尺化」というのは、恐怖心を煽るものすごいマーケティングワードだったなと思います。「もう短尺しか見られない」ってみんなビビっていて、コンテンツ業界はもう終わりだと言いたかったみたいな。

映画もどうなんでしょうか。以前、すごく短いときがあって、ちょっと長尺になり2時間超えるのが普通になり、また短くなるっていうトレンドの変化があるように見えるのですが。

中山 そんな急には変わらないですよ。ハリウッドにおけるすべてのタイトルの平均で見たら、1955年までは90分なんですよね。それがテレビが浸透する1965年まで急激に120分平均まで上がって、そこからはちょっとずつ下がっているかなというくらいです。そんなにすぐには短尺化しませんよ。作り手の意識が変わって実験しながら徐々に変化するわけですから。

「クールジャパン再起動」に求められる観点

新刊である『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)についてお話いただけますか。

中山 これまで僕はIP経済圏について、産業論をメインに語ってきたところがあって、一つひとつのキャラクターについてはあまりフォーカスしてこなかったのですが、あるとき、キャラクタービジネスっていつ始まったんだろうと考えはじめて、ちゃんとまとめてみようと思って書きました。

「ゴジラ」から「鬼滅の刃」まで25のキャラクターを分析されています。

中山 ぜんぶ書いて初めて見えてくる世界がありました。1980年代の半ばからアメリカが知財を資源として捉えて戦略を立てていたんですが、日本も知財で頑張ろうって「クールジャパン」という言葉をアメリカからもらって、各企業が戦略化していきました。それが2010年ごろです。

拝見して、キャラクター大国と呼んでもいいのはアメリカと日本だけなんだって知りました。

中山 他にないんですよね。欧州でもキャラクターがきちんと産業をまわすドライバーになっているか、というと日米よりも一桁小さい数字です。

これは後続の国が施策として真似したとして、ビジネスになる可能性はあるんですか。

中山 幸い日本には50年を超えるアーカイブがあるので、競争優位ですね。この15年で中国が知財立国を目指し、キャラクターも量産して『原神』『黒悟空』『哪吒』のような秀作も産まれてますが、長い道のりです。この本はキャラクター資産という“日本の宝”を強みにして戦略を立ててくださいという政府や経産省に向けて書いた本でもあるんです。「クールジャパン再起動」と言うのであれば、この観点は絶対に入れておかないと、と思いますね。(了)