エンタメ社会学者・中山淳雄氏に聞く
第4回 「超クリエイティブ国家・日本」の競争力

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

マイノリティがクリエイターとして活躍できる日本。大手資本に頼らず、多様な出自から革新的コンテンツが生まれる土壌は、世界的に見ても特異な強みだ。非効率を許容する豊かさが、エンタメ産業を支える「競争力」になり得る可能性を読み解く。

中山 淳雄(なかやま あつお)

エンタメ社会学者。コンテンツの海外展開がライフワーク。事業家(エンタメ企業のコンサルを行うRe entertainment)と教員(早稲田・慶應・立命館)、行政(経産省コンテンツPjt主査、内閣府知財委員)を兼任。東京大学社会学修士、カナダMcGill大学MBA修士。リクルート・DeNA・デロイトを経て、バンダイナムコスタジオ・ブシロードで、カナダ・シンガポールでメディアミックスIPプロジェクトを推進&アニメ・ゲーム・スポーツの海外展開を担当。

著書に『キャラクター大国ニッポン』(中央公論新社)『エンタメビジネス全史』『クリエイターワンダーランド』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』『エンタの巨匠』(以上、日経BP)、『ソーシャルゲームだけがなぜ儲かるのか』『ヒットの法則が変わった』(以上、PHPビジネス新書)『ボランティア社会の誕生』(三重大学出版会)など。

目次

マイノリティがクリエイターになれる日本の特殊性

桐原永叔(以下、――)日本のなかでの多様性には限界があるかもしれませんけど、いろんな出自でいろんなことを考えている人たちがクリエイティブなことを行うことでイノベイティブなこれまでになかったものが登場する。そんな素地がなくなって、大手のレーベルだけが押さえるようになったら、面白いものが出てこなくなる気がします。テレビが弱っているのって、そういうことなんじゃないかと思ったりするんですが。

中山 確かに、予定調和で面白いものなんかつくれないんですよ。大手資本が入って「鬼滅の刃2」をつくれって言った瞬間に、その自重でダメになっているでしょうね。その点で、ジブリはずっとチャレンジャーでしたよね。

社会のなかで居場所がないような人たちにもチャンスがあるという、ロールモデルがいっぱい出てくるのが大事だし、それをテクノロジーが支えることができるというのも大事な視点なのかなと思っています。

中山 マイノリティからクリエイターが生まれてくる日本のパターンは、世界的に見れば相当に珍しいと僕は思っています。

そうなんですね。

中山 学校に行かずに配信している子どもを親が許しているという環境は、結構レアなんですよ。例えば中国、韓国、シンガポール、インドあたりでは相当難しいでしょうね。強烈な学歴競争社会で、負け組は本当の負け組、とみられる社会だと学校教育からして違います。先週までインドにいたんですけど、インドの小学校には体育と図工と美術の授業がそもそもカリキュラムにないんです。クリエイターになりたい人は多いんだけど、その基礎レベルが日本が1だとしたら0.1くらいしかない。絵が描けない、というのが謙遜じゃなくて本当に出来ないんですよね。日本人ってみんなそこそこお話作ったりマンガ描いたりって、標準のレベルが高いんですよね。クリエイターの道を選んだとしても、大成功ではないにしてもそこそこやっていける人もかなりの母数でいる。そういう意味では本当豊かな国だなと思います。

同質的なカルチャーだからこそ多様性が担保される

日本は諸外国に比べたら多様性はだいぶ担保されているわけですね。

中山 相当確保されてると思います。同質的だからだと思うんですよね。出自も育ちも似たような日本人、移民の少ない同質的で空気を読むカルチャーだからこそ、モノづくりという意味では異常なまでに多様性が担保される。

なるほど。世の中がどんどん単線的で能力主義的になっていて、オルタナティブな存在として社会に存在する方法は限られると思っていたのですが、今のお話を聞くと少し違うのかもしれませんね。

中山 就職先としてもかなり自由ですよね。ただ時代もありますよね。僕もそうでしたが2000年前後の就職氷河期って就職すること自体にかなりのハードルがあって。当時東大卒のなかでエリートと言われた総合商社に入ったような人も、45歳にして「俺もまあ、課長までだな」と達観せざるをえないように、就職氷河期世代はエンタメ産業でも若干浮かばれにくい。それなのに今や慶應の学生すら商社・コンサルを蹴ってエンタメにサクサク就職していくのをみると、隔世の感があります。まあ、当時の就職氷河期時代の日本ですら、その後僕が聞くことになる韓国とかシンガポールの“就活残酷物語”に比べるとまだまだ緩いんですけど。

だとしたら、逆にその環境を活かさない手はないですよね。新しいテクノロジーが格差なく広がる可能性もある。

中山 日本人は新しいもの好きですよね。学歴とかリテラシーに関係なくChatGPTに触れている人の総量も多いですし。就職の幅もアソビも他国にくらべると潤沢です。

日本は「超クリエイティブカントリー」

メタバースが出てきたときに、属性や性別、年齢もぜんぶ自由な場所があって、そこに居場所があるみたいな議論がありました。あれもテクノロジーがマイノリティにとって社会とはオルタナティブな居場所をつくる方法だと思います。それ以前はものをつくることがオルタナティブな居場所だった。たとえば漫画家さんとか。

中山 漫画家が1番すごかったかもしれないですね。ジャンプ興隆の立役者だった本宮ひろ志1さんは本当に浮浪者だったという話を聞いたことがあります。餓死しそうなんで、編集者がカツ丼食わせるみたいな。

そういえば、その昔の文学者もそういう人が多いですよね。

中山 音楽家もそうですよ。しかも高学歴だったりするわけですよね。もうなんという無駄遣いなんだろう、みたいな。

別に韓国や中国と比べるつもりはないですが、その豊かさがないと、社会は息苦しいですよね。生きる隙間みたいな場所がないと。

中山 アジア諸国から見ると、日本は効率性を度外視したファンタジー世界の天国のように見えるらしいんです。あんなにキャラクターがたくさんあって、漫画家やアニメーターとして生きられる世界が存在している。インドネシアやマレーシアやシンガポールでもアニメやゲームづくりはしている人はいるんですけど、図工も美術も学校では学んだことがない人たちが、親に反対されながら、めちゃくちゃ少ない定職にようやくありついて働いている。日本だけがアジアの地図のなかで「超クリエイティブカントリー」としてキラキラ輝いているんです。あそこに行けば何かがあるかも、というくらいで日本出張したがっているスタッフも多いです。