データ社会の不可視な<私>とネットワーク ──包摂とケアの主体としての個と協働を再考する
第5回 データ資本主義における<私>を再考する──倫理とケアの主体に基づく社会設計

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テキスト 都築正明
IT批評編集部

MetaやXでの参与観察を通じ、ヴェンカテッシュはプラットフォーム資本主義の労働倫理や不可視の権力構造を記述してきた。その批判的知見は、ケアや協同を基盤とした分散型組織DisCOや、Web3の文脈におけるソリダリティ経済の構想へと向かい、新たな社会的価値の分配原理を模索する実践に繋がっている。

目次

ビッグ・テックのエスノグラフィ

スティーヴ・ヴェンカテッシュは、2018年から2021年までX(旧:Twitter)に在籍し、“Director of Social Science Research and Health Research(社会科学研究・健康研究ディレクター)”としてプラットフォーム上の健全性やユーザーの安全性向上に取り組むこととなる。ここでは、誤情報や悪質な行動の抑制やユーザー間の健全なコミュニケーションの促進、SNSの社会的影響に関する調査と提言を担当した。また企業戦略やポリシー策定に社会科学の観点から助言を行い、当時のCEOジャック・ドーシーや経営陣とともに“Social Science Innovation Center(社会科学イノベーションセンター)”を設立した。

また2016年から2018年まではMeta(旧:Facebook)の“Integrity(誠実さ)”部門に在籍し、いじめや誤情報、有害行動への対策に取り組んだ。ここではプラットフォーム上でのユーザーの安全確保、コミュニティの健全性維持、政府機関との連携などに従事し、Facebookの“Transparency Report(透明性レポート)”作成を主導し、社会問題への対応策の研究・実装を担当した。

上記2社では共通して、SNS上の安全や健全なコミュニケーションの促進、問題行動への対策など、社会科学の知見を活かした研究・実務を行った。一方ヴェンカテッシュはエスノグラファーとして、これらのビッグ・テックを社内から参与観察もしている。

ヴェンカテッシュは、ビッグ・テックでは企業内での非公式なパワーバランスや、社員同士の関係性に企業文化が、往々にして社員たちの精神的・感情的負担を引き起こすことを指摘している。特に、コンテンツモデレーションに従事する感情的ストレスなどの心理的な負担に注目し、ビッグ・テックの孕む労働条件やメンタルヘルスに関する問題を浮き彫りにした。

また、デジタルプラットフォームの背後で行われる目に見えないゴーストワークにも関心を持つ。特に、プラットフォーム上で発生するコンテンツのモデレーションやカスタマーサポートといった業務が、しばしば発展途上国にアウトソーシングされ、最も低賃金で働く人々に強い精神的負担をかけている点を批判した。

このような仕事は、企業側から見えるかたちではなく、労働者に対する評価や報酬が見えにくいため、ヴェンカテッシュはこの点を“見えない労働”として指摘している。本連載「AIのアルゴリズム・バイアスを糺すのはだれか」でもMeta社のこの話題に触れたが、これはヴェンカテッシュの“New York Times”紙への寄稿が元ネタである。

またヴェンカテッシュは、MetaやXなどが提供するプラットフォームが、ユーザーや社会全体に与える影響についても言及している。特にSNSやアルゴリズムがもたらす社会的分断や情報の誤用、デジタル空間におけるアイデンティティや権力の問題を研究しており、大手プラットフォーマーの社会的責任や倫理的な立場を問いかけつつ、それがしばしばテック企業内の官僚的構造や倫理的ジレンマに起因することを指摘している。

溶解した生身の個人を再考する

スディール・ヴェンカテッシュは、Meta(旧:Facebook)やX(旧:Twitter)での参与観察を通じて得た知見をもとに、テクノロジーと社会の関係の追究を進め、研究成果を論文で発表しているほか“New York Times”紙や“The Washington Post”紙、“The Chicago Tribune”紙や“WIRED”誌に寄稿するほか、スティーヴン・D・レヴィットの“Freakonomics Blog(「ヤバい経済学」ブログ)”にもポストしている。

デジタル・プラットフォーム内での労働問題や倫理的課題のほか、実社会の労働環境や社会的不平等、政治的力学などとの関連について書かれたものが多く、データプライバシーやアルゴリズムの透明性、労働環境などビッグ・テックの抱える諸問題に積極的な批判を行うとともに、労働者の権利を保護するための法的枠組みや企業内部の管理体制の改革などの公共政策を含む実践的な解決策を提案している。

近年では、競争や利潤の最大化を前提とする資本主義経済に対して、人間的連帯・共助・包摂・民主性を中心に据えたオルタナティブな経済モデルであるソリダリティ経済に関心を寄せている。

特にソリダリティ経済の価値観をデジタル・分散技術の文脈で再構成するDisCO(Distributed Cooperative Organizations:分散型協働組織)により、利潤を生むリビングワークに加え、翻訳や教育、コミュニティケアなど社会的価値を有するものの市場の俎上に上げられないラブワーク、人々の関係性維持や感情サポートであるケアワークをそれぞれ別々に記録し、バランスよく配分する価値会計システムの構築について、Web3やDAO(Decentralized Autonomous Organization:分散型自律組織)に関連づける研究を行っている。

トランプ大統領就任式で、GAFA各社やTikTokのCEO、ソフトバンクの会長兼社長がならぶ光景、そしてイーロン・マスクの閣僚入りに違和感をおぼえた読者も多いだろう。ビッグ・テックの専横に疑義を呈する論は多くなされているし、本連載でも幾度か批判的に取り上げてきた。

しかし前提にするべきなのは、それを陰謀論めいた談義に落とし込むことではなく、私たちがユーザーとしてその当事者にいることだ。

ショシャナ・ズボフが『監視資本主義:人類の未来を賭けた闘い』で“データ・ダブル”と表現したように、私たちは各種データでプロファイルされた別の身体を持つ。

そこではデジタル社会における当事者であることは言を俟たない。ジグムント・バウマンとデイヴィッド・ライアンとの対話『リキッド・サーベイランス』で懸念するように、セキュリティと利便性のもとにトレースされるネット空間においては、これまで見て見ぬふりをしてきたものが顕在化し、一方では見るべきものが黙殺される。

自分たちが安全地帯にいると確信すれば、ガス抜きとしての“炎上”がはじまり文字通り“対岸の火事”としてエンタメ化されることも茶飯事だ。日常化して30年も経とうとしているインターネットの立場から、従来のマスメディアを“オールドメディア”として嘲笑するのは、もはや五十歩百歩としか言いようがない。

今回エスノグラファーとしてスディール・ヴェンカテッシュの研究を取り上げたのは、地下経済とネット上のOnionサイトやブロックチェーン通貨との親和性が高いこともあるが、膨大なNに基づく統計の塊であるIT界隈で、ユーザーつまり当事者としての生身の身体を持つ私たち自身について、そして生身の関係の間に生じるべき倫理について再考する必要性を考えたからである。

ヴェンカテッシュが参照する日本のワーカーズ・コレクティブをはじめ、ソリダリティ経済やDisCOについては改めて論じることとしたい。(了)

監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い

ショシャナ・ズボフ (著)

野中 香方子 (翻訳)

東洋経済新報社

ISBN:978-4492503317

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私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章

ジグムント・バウマン, デイヴィッド・ライアン (著)

伊藤茂 (翻訳)

青土社

ISBN:978-4791767038

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