データ社会の不可視な<私>とネットワーク ──包摂とケアの主体としての個と協働を再考する
第4回 都市の縫合線としてたゆたう地下経済──排除と包摂の交錯点

制度から排除された人々は孤立しているのではなく、非公式な経済活動を軸に、信頼と交換を媒介とする独自のネットワークで結びついている。ヴェンカテッシュは、都市の地下経済のなかで逡巡を繰り返しつつ、不可視な社会的連関がいかに階層を横断し、制度の不在を補完する構造として機能しているかを見出していく。
目次
制度的空白のセーフティネットとしての地下経済
大学院修了後、ヴェンカテッシュはハーバード大のソサイエティ・オブ・フェローズのジュニア・フェローとして3年間の研究職に就くことになる。ハーバードの豊富な研究資源を活用した自由な研究が認められているものの、毎週月曜日にハーバードの教授陣からなるシニア・フェローと会食をしながら学術的な交流を深めることになっている。ヴェンカテッシュはその世話役を務めるものの、ワインや高級ディナーのしきたりがわからず、セレブリティ出身の同僚に助けてもらいながらその任を果たしたという。この同僚との出会いが、のちにニューヨークの地下経済の研究への足がかりとなる。
ヴェンカテッシュはその後、コロンビア大学に職を得ることとなるが、解体されたロバート・テイラー・ホームズに住んでいた人たちを中心にシカゴ貧困層への参与観察を続け、調査範囲もマーキー・パークと名付けた、より広いエリアへと拡大する。またヴェンカテッシュの関心も、貧しい人々の経済的適応や、地域全体に広がる地下経済へと移る。
シカゴ大学時代からつづく10年に及ぶ研究成果は『アメリカの地下経済:ギャング・聖職者・警察官が活躍する非合法の世界(原題:Off the Books: The Underground Economy of the Urban Poor)』(桃井緑美子訳/日経BP)として出版される。
『ヤバい社会学』に比べると、構造分析と理論的整理を重視した学究的な要素が強く、制度経済の外側で営まれる地下経済の実態を描いた都市社会学の研究となっている。
本書でヴェンカテッシュは、制度的に排除された人々がいかにして生活を成り立たせているのかを描き出している。調査対象の地域では、住民の多くが失業や貧困、福祉制度の欠如に直面しており、正規の雇用や公的サービスに代わる手段として、非公式な経済活動に依存して暮らしていることを描き出した。
ヴェンカテッシュは同書で、地下経済を単なる違法活動としてではなく、オルタナティブな制度的秩序として捉える視点を提示する。このエリアでは理髪店や洗濯代行、ドラッグの密売、宗教的カウンセリングなど、さまざまなサービスや取引が税務申告されない“帳簿の外(Off the Books)”で行われている。
これらの活動は金銭の交換だけでなく評判や信用、人間関係に依拠しており、独自の倫理やルールによって成立している。特にギャングや教会の指導者、退役軍人や小規模ビジネスのオーナーといった地域の顔役的な人たちは治安維持や融資、人材の紹介などを担い、非公式ながらも制度的役割を果たしている。
ヴェンカテッシュはこうした非公式経済が単なる貧困層の生存戦略だけでなく、都市における排除と包摂のメカニズムを理解する鍵であることを指摘する。そこには公的制度の失敗や綻びといった空白を代替・補完しようとする機能が内在されており、同書は地下経済にある秩序や倫理、社会関係を詳細に記述することで、従来の経済社会学や都市政策の枠組みを再考する契機をもたらしている。
アメリカの地下経済:ギャング・聖職者・警察官が活躍する非合法の世界
スディール・アラディ・ヴェンカテッシュ (著)
桃井 緑美子 (翻訳)
日経BP
ISBN:978-4822247508
スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著)
望月衛 (翻訳)
東洋経済新報社
ISBN:978-4492222959