AIの倫理とその再配置を考える 第2回
ネットワークの交錯点として現れる科学

生成AIの登場は、科学を人間中心の営みとする従来の枠組みに揺さぶりをかけた。思考や創造が人間と非人間との協働によってなされるとすれば、科学もまた関係性の網のなかで編まれるネットワークの場としてみるべきではないか。アクター・ネットワーク理論は、科学は不断に書き換えられるものとして考えてきた。
目次
- パラダイム・シフトとしての生成AI
- GPTがもたらした質的変化
- クーン『科学革命の構造』とAI
- ELSIからAI倫理へ──科学技術社会論の系譜
- 科学的パラダイムが生まれる場
- マートンのCUDOS倫理規範
- マタイ効果と科学クレジットの不平等
- 査読制度と公平性の制度設計
- 動的で社会的なフェーズとしての科学的事実
- 『ラボラトリー・ライフ』が示すブラックボックス化
- ANTが描く人間/非人間のハイブリッド世界
- 生成AIを加えた新たなネットワークの想像力
パラダイム・シフトとしての生成AI
GPTがもたらした質的変化
ChatGPTの登場以降、生成AIは科学のパラダイム・シフトであるという解説がなされてきた。2024年ノーベル賞では、6分野中物理学賞と化学賞の2分野がAI関連研究に対して贈られた。本サイトで3月に取材した慶應義塾大学の栗原聡教授も、数が増えることでフェイズが変わってくるという自然界の法則が、パラメータを増やすことで質的変化をもたらしたGPT-3.5においてはテクノロジー史上初めて実現されたことを挙げている。
クーン『科学革命の構造』とAI
トーマス・クーンは1962年に著した『科学革命の構造』(青木薫訳/みすず書房)において、科学が社会的・文化的要因と密接に関連したパラダイムの俎上で発展するとともに、既存の理論では説明が不可能だった現象を理解することができる新たなでパラダイムの枠組みが提示されるという非連続的な科学進化のありようを示した。
クーンのいう科学革命とは、それまで支配的だった理論や方法論が放棄され、科学界全体が新しいパラダイムへと移行することである。パラダイムが社会的・文化的要因に依拠しているとともに、科学におけるパラダイム・シフト以降の科学的枠組みもまた、社会や文化に新しい観点をもたらすことを論じた。
ここで科学が社会や文化と接続され、科学を社会的・文化的なものとして扱うSTS(Science, technology and society:科学技術社会論)が萌芽することとなる。
ELSIからAI倫理へ──科学技術社会論の系譜
1990年より開始されたヒトゲノム計画では、人間の遺伝情報の解析による潜在的な社会的影響や倫理的問題が懸念され、これらの課題を体系的に研究する必要性からELSI(Ethical, Legal, and Social Issues:倫理的・法的・社会的課題)が提唱された。当初は生命科学やバイオテクノロジーにおいてなされた考えかただが、現在では科学全般において適用されている。
AIにおいて倫理が喧伝されるのも、狭義にはこのELSIの見地においてなされるものである。
科学革命の構造
青木薫 訳
みすず書房
ISBN:978-4622096122
科学的パラダイムが生まれる場
マートンのCUDOS倫理規範
社会学の見地から科学を分析した最初期の業績として挙げられるのが、ロバート・キング・マートンによる科学の制度としての規範的構造の理論である。マートンは社会学全体において現在に至る大きな影響を及ぼしているが、科学社会学もその1つである。主著『社会理論と社会構造』(森東吾他訳/みすず書房)には、科学者共同体の4つの倫理規範(CUDOS)を指摘している。
CUDOSはこの倫理規範の頭文字をとったもので、科学的主張が普遍的基準によって評価されるべきだとする普遍主義(Universalism)・科学的発見は共有財産であるとする公有主義(Communism/Communalism)・科学者は個人的利益よりも真理の追求を優先するべきとする無私性(Disinterestedness)・すべての主張は批判的に検討される組織化された懐疑主義(Organized Skepticism)からなる。
マタイ効果と科学クレジットの不平等
マートンがこの倫理規範を提示した背後には、既に名声を得ている科学者は、同等の業績を上げた無名の科学者よりも多くの評価を得る傾向を看取したことにある。彼は科学における信用と名声の不平等分配を“マシュー効果(Matthew Effect)”と称した。これは「持てる者はさらに与えられ、持たざる者は持っているものまでも奪われる」というマタイ福音書(Matthew)の一節に準えて命名されている。
一見すると、格差の拡大再生産のようにもみえるし、実際にビジネス用語として「成功がさらなる成功を生む」とする“マタイ効果”が喧伝されている――ときにすべてのステークホルダーに均等な機会を与える“マルコ効果”という述語も派生している――が、この語を用いたマートンの意図はあくまでも普遍的・客観的なようにみえる科学界の業績が、じつは社会文化的に形成されていることを示すことだった。
査読制度と公平性の制度設計
学術論文においては、公平公正さを保つために、査読者のプロフィールを隠して評価するシングルブラインド査読や、著者と査読者双方のプロフィールを隠して評価するダブルブラインド査読(Double-blind peer review)が用いられている。
AI開発についていえば、ビッグ・テックの専横によるビジネス用語としての“マタイ効果”が前景化しているのが実状である。
社会理論と社会構造
森東吾, 森好夫, 金沢実, その他 訳
みすず書房
ISBN:978-4622097051
動的で社会的なフェーズとしての科学的事実
『ラボラトリー・ライフ』が示すブラックボックス化
マートンは、自身の師でもあるタルコット・パーソンズの汎用的なグランド・セオリーと、統計や参与観察などの社会調査とを架橋する“中範囲の理論”を提唱したが、ブリュノ・ラトゥールは科学実験室への参与観察を行い、1979年に社会学者スティーヴ・ウールガーとともに科学人類学の古典となる『ラボラトリー・ライフ―科学的事実の構築実験室生活――科学的事実の構築』(立石裕二・森下翔監訳/ナカニシヤ出版)を著した。
ANTが描く人間/非人間のハイブリッド世界
同書は、ソーク研究所で神経内分泌学を研究し、1977年にノーベル生理学・医学賞を受賞したロジャー・ギルミン研究室のラボの科学者たちを文化人類学的な見地から調査しつつ、科学者同士の協力や競争、研究資源や支援者の獲得などが大きく影響していることから、社会的要素を多分に含んでいることを指摘している。
また算出された成果がひとたび論文に落とし込まれると、そこに至るまでの過程は忘却され、ブラックボックス化することについても述べられており、科学的事実が普遍的な真実の発見ではなく、社会文化的な文脈に根ざした動的なものであることを論じている。
また科学的事実が人間(human)と研究資源としての人工物(non-human)との相互作用により生み出されるという見立ては、のちにラトゥールが提唱する、人間と非人間とを等価に扱うANT(Actor-network-theory:アクター・ネットワーク理論)の着想源になっている。
生成AIを加えた新たなネットワークの想像力
科学の社会的位置づけについては、『ラボラトリー・ライフ』から20年後の1999年に刊行されたラトゥールの単著『科学論の実在:パンドラの希望』(川崎勝・平川秀幸訳/産業図書)ではより精緻化されており、科学は社会と自然とのハイブリッドな世界に実在するということが明示されている。
ここでいう社会とは科学者だけでなく一般市民や政府、企業やジャーナリズムも含む人間全体(human)であり、自然とは研究対象だけでなく自然環境や物質全体(non-human)のことである。科学とは、これらのアクター(行為者)が織りなすネットワーク上の交渉や交差のプロセスとして現れるというわけだ。
人間と非人間とが形成するネットワークの容態については、現在のインターネット環境を例にすると想像しやすいように思う。ネットワークの具体化でありアクターとなりうる生成AIについては、後に考察したい。
ラボラトリー・ライフ―科学的事実の構築
立石 裕二, その他 訳
ナカニシヤ出版
ISBN:978-4779516016
科学論の実在: パンドラの希望
川崎 勝, 平川 秀幸 訳
産業図書
ISBN:978-4782801468