答えなき時代の思考術─ネガティブ・ケイパビリティ、パラコンシステント、エフェクチュエーション
第5回 予測不能な時代に問われる即興力
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2025.05.23
テキスト
桐原 永叔
IT批評編集長
形而上学的ファシズムに陥らないために
AIというテクノロジーの分野においても、ここまで論じたことに通ずるトレンドが見えてくる。そもそもディープラーニングを経たAIはすでにわたしたちには理解し尽くせないものである。そのうえで、さまざまな分野や人にAIが使われることで、個別で独特に変化している。そうしたAIはネットワークを組んでいる。わたしたちはテクノロジーを通じて未来を予測しようとするが、それはおそらくほとんどが外れる。
わたしはIT批評でこれまでテクノロジーと近代化について考えてきた。近代化とはそのまま機械化であり、デカルト的合理主義の取り込みであった。それは社会の隅々にまで浸透している。書籍『生成AI時代の教養 技術と未来への21の問い』(IT批評編集部・桐原永叔編著/風濤社)の序論では、日本でもなんどかこうした近代化への問題意識が議論された時代があったと述べておいた。それは西田幾多郎が生んだ京都学派がいた「近代の超克」の時代である。
『パラコンシステント・ワールド』のなかで澤田氏は、西田哲学あるいは京都学派のこの時代での可能性について論じている。
わたしが思い出していたのは、先述したユク・ホイが京都学派について「形而上学的ファシズム」と批判したことだ。VUCAのような不確実性の高い時代において、求められるのは新しいイデオロギーや宗教といった“大きな物語”だ。
わたしたちが歴史から学び「形而上学的ファシズム」に陥らないためには、合理と秩序の“大きな物語”に覆われてしまわないように、たとえ矛盾だらけであったとしても多様性を受け入れていかなければならない。たとえ答えが得られなくとも短絡しないで耐えなければならない。
IT批評編集部・桐原永叔 (編著)
風濤社
ISBN:978-4892194641