日本大学文理学部 情報科学科准教授・大澤 正彦氏に聞く
第5回 半自律AIが拓く「人とAIの共創インタラクション」の可能性

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聞き手 桐原 永叔
IT批評編集長

インタラクションのアクチュエーターとしての身体は意味がある

お話を伺うまでは、AIエージェントの自律性の話がテーマだと思っていたんですけど、自律というよりも、人とAIが相互依存的に存在するというイメージに近いなと感じました。人間とAIの相互適応という話を聞いて、ヒューマンインザループ1を想起したのですが、少し違いますよね。

大澤 違うのかな。いや、でもオーバーラップする部分は結構ありますよ。僕らも社会的承認による定義とか相互適応とかいう前に、人を含む系での強化学習という話はずっとしていたわけです。人を含むと大量に高速に機械学習できないから、人とかかわるAIをつくるのが難しいと言われていた時代がしばらくありました。そのなかで、人が介入して人に適応するとはどういうことかということで、相互適応を考えてきたので、オーバーラップする部分もあるんじゃないかなと思いますね。

身体性が作るメンタルモデルへの影響

もうひとつ重要なキーワードをお伺いしておきたいのですが、ロボットという意味で言うと、AIと身体性についてどうお考えですか。

大澤 ざっくり言うと、以前のAIが身体性を持たないとダメだという意見はちょっと古くなりかかっている気はします。身体があるから獲得できていた表象みたいなものをWEB上の大規模な言語データだけでなんとかなっているのかもしれません。でも別な意味で、身体があるということは、相手のメンタルモデルに作用を及ぼすのは間違いなくて、学習のセンサーとしてというよりは、インタラクションのアクチュエーター2としての身体は、意味があると考えています。体が大きくてどっしりした人だったら、最初の印象が違うし身構え方も変わってくるかもしれないとか、相手がヘラヘラした喋り方だったらヘラヘラ喋れるけど、威厳を持った喋り方をする人が相手だったら、会話のリズムも変わってくるんじゃないかなと思います。そういう、相手がどういうメンタルモデルで自分とかかわるかみたいなことが大きい以上は、体を使うことによって相手をうまくこう引き込んでいくとか、そういうことはすごく重要だと思います。

面白いですね。なんでこの質問をしているかというと、10年前に松尾豊先生がベストセラーになった書籍のなかで次のブレイクスルーは身体性だって言っていたのに、ここ数年はもう身体性じゃないよって言われはじめてるので、いろいろ皆さんに訊いているんです。

大澤 10年ぐらいコミュニティをやってきたので、昔自分達が議論していたことが本当だったのか、改めて棚卸ししてみようかという議論をしました。身体性ってみんな言ってたけど、いま振り返ってみてどう思う?とか、プログラミングができるAIが登場した瞬間がシンギュラリティだって結構な大人がいってたけど今シンギュラリティ起こったのかな?とか。

確かに言われてましたね。やっぱり若手の研究者の方々は、それ以前の研究に対して批判的というか、検証するようなお話をよくされるのですか。

大澤 しませんね。しないのが問題だと思っています。僕がつまらないと思っているのは、今から博士課程を出ますぐらいの人たちって、その指導教員の先生の考え方が絶対的な正義みたいに思っていることです。質問したときに帰ってくるのが、何々先生の考え方だとこうですという答えで、自分はどう考えているっていうのがない。僕は割と人の言うことが聞けないタイプだったので、指導教員の先生と自分の考え方は違うと思っていました。そしたら、博士論文の公聴会のときに指導教員の先生から質問されました。普通そんなことしないんですよ。指導教員の先生と一緒にディフェンスするのが博士の学位審査で、先生としっかりすり合わせしたものを本番で他の先生から指摘を受けたときに、ディフェンスし切ったら学位がもらえるみたいな世界なんです。

インタビューとかも拝見していて、大澤先生は議論がお好きなタイプですよね

大澤 議論が嫌いだったら研究者は務まりません。自分でつくったものを批判されたくて学会とかに論文だすわけですから。(了)

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