即興する心とAIの因果
第4回 啓蒙思想はなにを語ってきたのか
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2025.04.24
著者
都築 正明
IT批評編集部

3月に公開した本連載では、ピンカーの『21世紀の啓蒙』を挙げて、18世紀の科学革命のもとで啓蒙思想に触れた。今回は、啓蒙思想の2つの潮流について整理しつつ、思想と脳科学、そして人工知能との界面を探る準備としたい。
目次
啓蒙主義哲学とは
18世紀にキリスト教に基づくスコラ哲学が退潮した時代に、新しい哲学が求められた。大きく3つの理由を挙げると、1つめは⼗字軍遠征に伴い、イスラム教世界観などに⼈々が接するとともにイスラム圏で保存されていたギリシア・ローマの⽂献に接することで、神ではなく⼈間への関⼼が⾼まった価値相対化、2つめはルターの宗教改⾰や、カトリックとプロテスタントの戦いにより、カトリック教会権威の失墜、また3つめはコペルニクスの地動説やガリレイの物体落下の法則、ニュートンの万有引⼒の法則などが明らかになったことに起因する⾃然科学的世界像の受容である。聖書の物語を全面的に信用することもできず、一方、科学によって自己や世界の意味について客観的に解釈できるわけでもない状況の中で新しい思想が要請され、科学哲学に基づく新しい世界観や人間観、また政治観を打ち立てようとする経験論がイギリスを中心に論じられる一方、ヨーロッパ大陸では合理的に神の存在を理解しようとする大陸合理論が形成された。のちにカントが、客観中心の認識論から主観中心の認識論への転換をはかる超越論的観念論としての批判哲学を主張して、両者を統合して乗り越えたとされる。イギリス経験論も大陸合理論も、論者によって立場は異なるが、以下にいくつかの対立軸を示しながら整理しておきたい。