私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い
第5回 ヒューマニズムか、それとも信仰か

REVIEWおすすめ
著者 都築 正明
IT批評編集部

人類をよりよく「する」には

暴力の人類史』における議論を、暴力だけでなく広範な分野で論じたのが『21世紀の啓蒙』(橘 明美,坂田雪子訳/草思社)である。ここでいう啓蒙は、18世紀にローマ・キリスト教の権威を否定した啓蒙主義だけでなく、それがもたらした理性・合理主義・科学・ヒューマニズム・進歩の理念のことである。

本書刊行に先立つインタビューでピンカーは、悲惨なニュースが好まれるニュースビジネスや悲観バイアスは理解していたものの、データとグラフで説得できると思っていたが、「人々は私が思うより頑迷だった」と語っている。暴力だけでなく、さまざまな観点から世界はより良い方向に進んでいることをデータで示し、それが理性に基づく科学とヒューマニズム的価値観、そして過去の人々の努力によるものであることと、その理念を大切にして努力を継続すべきであることを論じることが、同書執筆のモチベーションになったらしい。

原題は「Enlightenment Now:The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress(今こそ啓蒙運動:理性、科学、ヒューマニズム、そして進歩の正当化)」である。18世紀の科学革命のもと「知る勇気を持て(Sapere aude!)」(カント)をスローガンに、懐疑主義や可謬主義、経験的検証により無知と迷信から脱却しようとした啓蒙思想家のように、私たちは彼らが知らなかった知識をもとに、過去を評価しつつ新しいビジョンを見出そうということ――「今こそ」と冠したことには、そうした含意があるようだ。

同書では“意識のハード・プロブレム”についても考察されている。ピンカーは神経科学者クリストフ・コッホに倣い、意識をグローバル・ニューロナル・ワークスペース理論として位置づけて、非物質の魂のようなものを想定することは、まるで役に立たないとする。

その上で、科学的には「ハード・プロブレムなど存在しない」とするデネットに同意するものの、概念的なハード・プロブレムは概念的な問題としては意味があると主張する。これはデネットのいうように、神的なスカイフックについては否定するものの、トマス・ネーゲルが論文「コウモリであるとはどのようなことか」でいうような、人間とは異なる環世界のもとでは存在するかもしれないということだ。

第3回において、デネットが自由意志について両立論の立場をとったと記した。カントは、意志の自律としての自由を説いた『実践理性批判』のなかで両立論を「惨めな言い逃れ」としたが、デネットはそれを科学的な思考として妥当だとしつつも、道徳的責任を支える概念としての両立論を考えることが、今後の哲学における最重要課題であるとしていた。

つづく『人はどこまで合理的か』では、合理性と道徳を大きく擁護している。論理的に考えることについて、ベイズ推計やゲーム理論、統計的意思決定理論や相関と因果など、さまざまなクリティカル・シンキング――カーネマンのいう“システム2”による思考――の方法が紹介される。一方、論理では解決できない問題もあるとして、後期ウィトゲンシュタインの家族的類似が例示される。

本書が刊行されたのは、LLM(Large Language Models:大規模言語モデル)が登場するより前ではあるが、家族的類似を解決する方法として、ニューラル・ネットワークによる連想学習モデルと、それを多段にして誤差逆伝播法を実装した深層学習モデルが提示され、このシステムと人に思考の作動には類似する部分があり、人の合理性が完全に演繹論理的ではないことが述べられる。

その上でピンカーは、人の理性はDLM (Deep Learning Model:深層学習モデル)のようなパターン連想学習とGOFAI(Good Old Fashioned AI:古きよきAI)のような論理推論モデルとのハイブリッドシステムであり、論理と家族的類似の両方を扱うことができるとする。科学や道徳はそこから生まれたというわけだ。

21世紀の啓蒙 上: 理性、科学、ヒューマニズム、進歩

スティーブン・ピンカー (著)

橘 明美, 坂田 雪子 (翻訳)

草思社

ISBN:978-4794224217

▶ Amazonで見る

1 2 3