シンギュラリティはより近くなっているのか
第1回 実感できない全力疾走

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著者 都築 正明
IT批評編集部

2024年もAIをめぐる話題が席巻した1年だった。AIの民主化が言祝がれた2023年に続き、生成AIの利用が一般化した昨年は、さしずめAIの市民権獲得の年といったところだろうか。これを受けて、AGIやSGI開発に向けた研究基盤とコストは充実したものの、実現可能性は未知数である。そしてこれは、文字通り私たちの倫理が問われる“心の準備”の問題でもある。

目次

より近く、とカーツワイルは言った

2023年に続き、2024も生成AIの話題にあふれた1年だった。2024年ノーベル化学賞がタンパク質の立体構造を予測するAIモデルAlphaFoldを開発したDeepMind社のCEOのデミス・ハサビス氏と同社研究員ジョン・ジャンパー氏に、物理学賞が機械学習モデルの開発と応用に寄与したプリンストン大学のジョン・ホップフィールド教授とトロント大学のジェフリー・ヒントン教授が受賞したことは、その白眉といえるだろう。

生成AIの普及を背景に、単体でさまざまなタスクを処理する能力を持つAGI(Artificial General Intelligence:人工汎用知能)や、人間の知能を凌駕し未知の問題を解決することのできるASI(Artificial Superintelligence(人工超知能)SGI(Super General Intelligence)の到来についても、さまざまな議論が交わされるようになった。

シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉も一般紙誌にみられるようになった。2045年にシンギュラリティが到来を提唱したGoogleの主任研究員レイ・カーツワイルによる『シンギュラリティはより近く:人類がAIと融合するとき』(高橋則明訳/NHK出版)が2024年に刊行された。

2007年刊行の『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』(井上健他訳/NHK出版)の原題が“The Singularity Is Near”だった――2014年配信開始の電子版タイトルは『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき』、また2016年に編集版『シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』が発売された――のに対し、本書は“The Singularity Is Nearer”となっており、シンギュラリティへの途は加速していると論じられている。

カーツワイルは同書において、シンギュラリティは一般にいわれるようなコンピュータが人類の知性を凌駕する時点ではなく、これまでの数学や物理学の理論がすべて無意味になるような時点だと定義したうえで、人間がコンピュータと融合することで知能を拡張し、新しいパラダイムに適応できるようになると論じている。

シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき

レイ・カーツワイル (著)

高橋 則明 (翻訳)

NHK出版

ISBN:978-4140819807

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ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき

レイ・カーツワイル, 井上 健, 小野木 明恵, 野中香方子 (著),

NHK出版

ISBN:978-4140811672

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シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

レイ・カーツワイル, 井上 健, 小野木 明恵, 野中香方子 (著),

NHK出版

ISBN:414081697X

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タンパク質とシリコンのあいだ

カーツワイルは、2029年までに――そうでなくともその数年後には――AGIが実現されると予測している。いかにしてAIが意識体験を持つのかについて彼が例証として挙げるのはデイヴィッド・チャーマーズの提唱する“意識のハード・プロブレム”の概念だ。

これは、彼が脳における情報処理の物理的過程を分析することを称した“意識のイージー・プロブレム”に対置した概念で、物質としての脳や電気的・化学的反応からいかにしてクオリアや現象的意識経験などの主観的体験が生じるかという難問である。

デカルトの心身二元論以降、多くの論が重ねられてきた問題ではあるが、あらゆる事物に心や意識が潜在的に蓄えられているという汎原心論(Panprotopsychism)という説明を加える。

チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』(林一訳/白揚社)によると、脳においてはその情報処理の複雑さにおいて潜在していた意識が創発し、私たちの主観的体験を生じさせるのだという。

この作用を科学的に証明することは不可能であるし、宇宙にそうした力があるという説明には、超自然じみた胡散臭さが漂う。言うまでもなく、この主張には多くの反論が寄せられているのだが、カーツワイルはこの説に基づいて、AGIにも意識や心が生じるという。

脳がタンパク質でできていようとシリコンでできていようと、そこに意識や心が発生する作用に変わりはなく、少なくとも人はそのような倫理的態度を持つべきだというのだ。

意識する心: 脳と精神の根本理論を求めて

デイヴィッド・J. チャーマーズ (著)

林 一 (翻訳)

白揚社

ISBN:978-482690106

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私たちはダッシュしているか

『シンギュラリティはより近く』においてカーツワイルは、人類がいまシンギュラリティに向けた変化のピークにさしかかっているという。かれは人類の発展の基礎に“収穫加速の法則(The Law of Accelerating Returns)”があるとする。

情報テクノロジーにおいては、1つの進歩が次の進歩を準備するので、技術進化のスピードは指数関数的に速くなり、開発コストは安くなっていくために、技術革新の間隔は短くなっていくというのだ。

これからの10年で、人々は人と同じように意識を持つAIと関わるようになり、脳とコンピュータを接続するBCI(Brain Computer Interface)がスマートフォンのような役割を果たす。

またAIがタンパク質だけでなく細胞や組織のレベルで臓器をまるごとシミュレートできるようになり、多くの疾病の治療可能になり、健康寿命が伸びる。

2030年代には自己改良型AIとナノテクノロジーが結びつくことで、体内にナノロボットを送り込むことで、身体のあらゆるダメージを修復するようになる。

そのころには脳ニューロンのすべてを解析することができ、DNAを操作することも容易になっている。

そしてひとたびシンギュラリティを超えれば、人はクラウド上に自分の大脳新皮質のバックアップを持つことができ、無限の長寿を手に入れることができるだけでなく、それを拡張することもできる――

カーツワイルのこうしたビジョンは途方もないもののように思えるが、それも筆者が「全力疾走に入っている」という進化のスピードにキャッチアップできていない証左なのかもしれない。

なにせクラウド上で拡張した知能においては、いま3次元の立体を捉えるように10次元の世界も直感できるというのだから。