MUCA展、「ワーニャ」、「悪は存在しない」
不自由なのか、孤独なのか?
歴史と政治が生み出した“孤独”
森アーツセンターギャラリーで「MUCA展」を観た帰り道、その昔、青山ブックセンターがあったところにある「文喫」という、有料入場のカフェスペースを書店と併設し、飲食しながら棚の本を選べるというコンセプトの書店に寄った。そういった良く設られた空間でゆっくり読書するというのが性に合わないほうのわたしはカフェスペースには当然のこと入らず店頭でめぼしい本を探した。すると柔らかなカバーデザインで、造本も好みに通じる一冊を見つけた。そのタイトルは『私たちはいつから「孤独」になったのか』(フェイ・バウンド・アルバーティ著/神崎朗子訳/みすず書房)という。昨年の秋の終わりに出たものらしい。さっそく買ったのだが、そうでなくとも積読が山脈をなしているわたしの生活環境において、いつ読むのかもあてのないことだった。そのときは──。
綺麗な装丁なので積読山脈にあっても目立つし、長い休みの気休めの読書──永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』上下(岩波文庫)と『墨東奇譚』(岩波文庫)などを読み漁っていた──が済んで次の一冊というときに、つい手にとった。中身をチラ見して「あ、これは」と思いさっそく読みはじめた。というのも、わたしが若いときから関心をもっていた詩人シルビア・プラスの写真が掲載されているのを見つけたからだ。シルビア・プラスは天才と言われた詩人でありながら深い孤独に苛まれ、夫と子供を残してオーブンに頭をいれてガス中毒で自死した。ああ、孤独をテーマとした本にシルビア・プラスなのかと思い、俄然、読み気に逸ったというわけだ。シルビア・プラスは数年前、作品が新発見されて、日本でも柴田元幸の訳で『メアリ・ヴェントゥーラと第九王国 シルヴィア・プラス短篇集』(集英社)が出ている。彼女の大きなテーマのひとつである父権的なものへのコンプレックスを描いた掌編から、児童向けの童話までを含んでいて、シルビア・プラスの別の一面を知ることもできるので、ファンにとっては大切な本になるだろう。
さて、『私たちはいつから「孤独」になったのか』を読みはじめてみれば、序章のタイトルは「『近代の疫病』としての孤独」という。わたしが数年にわたってなんどもここで取り上げてきたテーマに深く合致していた。
もちろん、近代化がわたしたちの社会に孤独をもたらしたという論はさほど難しく考えなくとも理解できるだろう。
科学主義によって宗教が失われ──神の死!──、産業革命後の都市経済の発展によって村落コミュニティが破壊され、自由主義経済で競争が激化して人々はさらに個々に分断され、そうして先進国は高齢化社会を迎え老人は地域社会に取り残されていくというような見通しは納得感のあるものだろう。
文化史家である著者は結論に「孤独ほど政治的なものはない」と述べ、続けてこう論じる。
そこで私は、孤独を歴史的にとらえる必要があると主張してきた。目的はそれ自体だけでなく、孤独を当たり前の状態にしているヒエラルキーを暴露するためでもある。二一世紀の政治レトリックにおいて、孤独は普遍的であり超歴史的なものであると決めつければ、孤独は人間の条件であって、社会政治的かつ経済的選択の産物ではないということになってしまう
『私たちはいつから「孤独」になったのか』
『私たちはいつから「孤独」になったのか』がわたしを惹きつけたのは、ソリチュードとロンリネスの違いから、文学的、芸術的な好奇心が求めた孤独について、シルビア・プラスが憧れたヴァージニア・ウルフに言及する箇所だ。
二◯世紀の初めには、ヴァージニア・ウルフの著作によって、ソリチュードと孤独(ロンリネス)が明確に結びつけられ、孤独は苦悩をもたらす感情状態であると同時に、創造的な企図に必要なものとされた。
『私たちはいつから「孤独」になったのか』
ウルフは孤独を精神の自立に必要なものとたびたび言及しているという。これこそ、冒頭のMUCA展にふれた際に、芸術が孤独を慰めるものとしてあったのではないかと書いたことの源泉だ。MUCA展の作品が精神的に自立した孤独な者たちによる連帯を求めているように感じ、その連帯のためのテーゼがひとつの答えとなって参加者の不安を取り除くような組み立てに感じられた。わたしはその答えには賛同できないので孤独感を募らせてしまったというわけだ。
人間は本質──ヒューマニズムの発想だ──的に孤独であるようにされているが、それは歴史的に醸成されてきたものにすぎず、その責任の一端は政治にある。著者は、そのことを丁寧に論じていく。
この本ではほかにもインターネット時代の孤独についても、近代化によって失われたコミュニティをSNSなどがあたかも代替しているかのようにみえて、個人と社会とのつながりがSNSのみにしかない場合には、さらに孤独を感じやすくさせていると述べる。個人は消費者として個々に分断されていることを背景に、インターネット上にオフラインの人間関係を代替させる場合と、オフラインの人間関係を補完させる場合で生じる違いを論じている。非常に示唆的だが、これ以上、立ち入る紙幅がない。
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