東京大学名誉教授 西垣通氏に聞く(1)
「基礎情報学」でテクノロジーのなにが見えてくるか?

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

第3次AIブームにつづく生成AIの登場により、人工知能はひろく人口に膾炙するようになった。それに並行して、シンギュラリティ仮説やポスト・ヒューマニズムといった議論が聞かれるようになっている。そこに冷静な視線を投げかけつつ、生命や文化とともに情報を位置づけるのが、西垣通氏の構築した基礎情報学という見地である。第1回では、AIの抱える課題と情報学の2つのパラダイムについて話を聞いた。

西垣通

西垣通(にしがき とおる)

東京大学大学院情報学環名誉教授。1948年東京生まれ。東京大学工学部計数工学科卒。工学博士(東京大学)。日立製作所でコンピュータ研究開発に従事し、客員研究員としてスタンフォード大学に留学。その後、明治大学教授、東京大学社会科学研究所教授、東京大学大学院情報学環教授、東京経済大学コミュニケーション学部教授を歴任。専攻は情報学、メディア論。基礎情報学の提唱者として知られる。著書として、『デジタル社会の罠』(毎日新聞出版)、『AI原論』(講談社選書メチエ)、『ビッグデータと人工知能』(中公新書)、『ネット社会の「正義」とは何か』(角川選書)、『超デジタル世界』(岩波新書)、『基礎情報学(正・続・新)』(NTT出版)ほか多数。『デジタル・ナルシス』(岩波書店)ではサントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した。

目次

エンジニアとして抱いた疑問を胸にアカデミズムの道へ

都築正明(以下、――)先生は日立でエンジニアとして汎用コンピュータの開発に携わられていたのですね。

西垣通氏(以下、西垣) 東京大学工学部で計測数理工学を学びました。当時の大学はいわゆる「熱狂的政治の季節」でしたが、数理的にクールにものごとを捉えることに興味を抱いて、純理論的な分野に進みました。卒業後は日立製作所に入社して、1970年代初めから汎用大型コンピュータのOSの研究・開発に携わりました。性能や信頼性の数学的モデルの研究についての論文も発表したので、1980年代に日立からスタンフォード大学に客員研究員として留学しました。1982年に東京大学から工学博士号を取得しました。

AIには、スタンフォードで出会われたのでしょうか。

西垣 当時は第2次AIブームの時代でした。エキスパートシステムの始祖であるエドワード・ファイゲンバウム教授が当時のスタンフォードのコンピュータ学部長で、AI研究の中心人物でした。法や医療について推論を重ねて結論を導き出すことが目指されていましたが、私としては人の生死にすらかかわる判断をすべてコンピュータに委ねてよいか、また人の行動や生理現象のすべてを論理で説明できるかどうかに疑問を抱くこともありました。

帰国後は、どのような仕事に従事されましたか。

西垣 通商産業省(当時)がリードしていた産官学一体の第5世代コンピュータ開発のプロジェクトに参画しました。論理形式でプログラムを書き、ハードウェアのレベルで高速な並列推論処理を行うものです。開発には成功したものの、ほとんど実用化はされませんでした。論理命題を高速に処理して推論しても、その結果を現実に適用することができなかったのです。医療や法律の分野で答えを出したとしても、その信頼性は絶対のものではありません。医療において誤診が生じたときに、その責任の所在をコンピュータに負わせるわけにもいきませんから。コンピュータにすべてを委ねることへの私の疑問は、さらに募りました。

プロジェクト終了後は、どうされたのですか。

西垣 研究所勤務から工場勤務に移ったのですが、激務から倒れ、入院と手術を強いられることとなりました。これを機会に、技術だけでなく社会や文化もふまえてテクノロジーを捉えようと決心し、明治大学の教員になりました。当時、隆盛していたポスト・モダンの思潮を学びたいと思い、フランスで在外研究を行いました。その後、東京大学に移籍し、2000年に発足した文理融合の大学院情報学環・学際情報学府のコアメンバーとして、基礎情報学の構築に着手しました。定年退官後の2013年からは東京経済大学コミュニケーション学部に定年まで勤務しました。現在は、東京大学名誉教授として基礎情報学の研究にあたっています。

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