破壊せよ、とだれも言わなかった

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著者 都築 正明
IT批評編集部

破壊衝動を表現するのは幼稚な身振りなのか

楽器を手にしたことのある人にとって、楽器が壊されることはたしかに恐怖である。自室の壁に立てかけてあるギターを友人がふざけて手に取ろうものなら、乱暴な大振りストロークをするのではないか、またネックを掴んで床に叩きつけるふりをするのではないかと冷や汗をかく――そんな思いをしたことのある人も多いのではないか。また、自分のピアノやシンセサイザーで力任せの雑なグリッサンドをする友人に不快感を覚えた経験をした人も多いはずだ。旧くはピート・タウンゼントのギター破壊からはじまった、ロックミュージシャンがステージで楽器を破壊するパフォーマンスはある種定番化している。ドラムセットにギターのネックを突き差したカート・コバーンのような例外はあるものの、こうした場合に、ほかのメンバーの楽器を壊すことはほぼない。メロディラインに則らずシャウトすることで感情を表現するように、自分の身体の延長である楽器を壊してみせることでカタルシスを表現することがその理由だろう。また再現が不可能な行為を共有することで、観客の興奮をあおる効果もあるように思われる。楽器を破壊したうえで観客を置き去りにしてライブを放棄するミュージシャンがいたとしたら、それこそ怒りと反感を受けることだろう。

こうしたパフォーマンスは必ずしもロックのお家芸ではない。ヴァイオリニストのギドン・クレーメルは「私は楽器の奴隷になる愚を犯したことはない」と言い、1641年製のニコラ・アマティから、ときに壊れたオルガンのような音を出してみせる。知的な演奏家と評されることを厭う彼は、演奏中にささくれた馬毛を弓から引き抜きつつ演奏を続けることもある。また楽器ではないが、作曲家ピエール・ブーレーズはかつて旧弊に囚われがちなクラシック音楽界に苛立ち「オペラ座に火をつけろ」とアジテートしたこともある。具体的な破壊行為こそ伴わないものの、これらもリミットを超えようとする意思表示だと考えるのが妥当だろう。また、ブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏にあたり、レナード・バーンスタインがグレン・グールドと解釈に折り合いがつかず、演奏前に異例のスピーチを行い“Who is the boss?”と疑問を投げかけたことは有名だ。余談だが、楽譜から大きくはずれたテンポで演奏していたのは前日までで、スピーチのあとは比較的穏当な演奏だったことから、この発言はバーンスタインの牽制だったとみるむきもある。ソロ作品では装飾記号の無視や和音の分割、下方アルペジオの導入など譜面を逸脱した演奏を行うことから技巧を重視する観客からは非難され、グールドは一切のライブ・コンサートを行わなくなり、録音による発表に。

スポーツ界では、用具を大切にするよう指導されることも多いが、それでもモノを破壊する行為は散見される。テニスではノバク・ジョコビッチやニック・キリオスがラケットを破壊することで有名だ。また大坂なおみ選手や錦織圭選手も、ときにラケットをコートに叩きつける。ポイントやゲームを失ったり、スポンサーから違約金を請求されたりするにもかかわらずだ。またミスショットのあとにクラブを地面に叩きつけるプロゴルファーも多い。かつて世界ランク1位だったロリー・マキロイは、アイアンを池に投げ捨てたことまである。幼稚な行為として批判されることもあるが、感情のブレを外部帰属化して集中力を持続させるアンガーマネジメントの手段ともいわれる。

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