小林秀雄とエリック・ホッファー
機械文明と大衆、そして労働について
忌むべき知識人と強靭な独学者
柄谷行人は後年、小林秀雄が当時の柄谷の書いたものを読んでいると知ったと「じんぶん堂」での、2023年10月のインタビューで述べている。
小林秀雄とは会ったことがないんだけど、文芸誌の編集者によると、僕の書いたものをよく読んでいたらしい。
柄谷行人と小林秀雄から、わたしが連想するもうひとりの思想家がいる。沖仲士の哲学者といわれたエリック・ホッファーである。ホッファーは1902年生まれであり1983年に亡くなる。生年も没年も小林秀雄と同じである。
ホッファーが特異なのは、7歳で視力を失い15歳で奇跡的に視力を回復するも、天涯孤独で貧民窟を渡り歩き、生涯、肉体労働に従事しながら読書と思索の生活を送ったことだ。40代の後半に『大衆運動』(新訳版/中山元訳/紀伊國屋書店)を発表して、一躍、アメリカだけでなくヨーロッパや日本の思想界からも注目を浴びたが、彼は大学でわずかのあいだ教鞭をとっただけで、65歳まで沖仲士として働いた。
『大衆運動』は原題を「The True Believer」といい、狂信者のことを指す。新訳を出すのなら「狂信者」としたほうが新しい読者を得られたと思う。なぜなら、この本は大衆運動そのものの社会学的な分析というよりも、狂信的にイデオロギーに依存せざるをえなくなる人間のあり方をふかく洞察したものだからだ。狂信的にイデオロギーに依存せざるをえなくなることこそ、現代においても社会の病理のままであるからだ。
ホッファーに学歴はない。図書館で学んだ独学の人だ。失明以前の5歳までに英語のみならず両親の母国語であるドイツ語の読み書きができたというのだから、地頭の良さは間違いないだろうが、それよりも強烈なのは知そのものへの執着だ。失明している間、家政婦から呪いのように与えられた「あんたの家系は短命だから40歳には死ぬから苦しみはそこまでよ」という言葉によって、予め限定された生涯のなかで自分の内実を満たし切ろうという執着だ。
そういえば、思想家としてのホッファーの発火点は移動労働者として冬の鉱山に籠るときに安価で手に入れ持参したモンテーニュの『エセー』(全6冊/原二郎訳/岩波文庫)である。1000ページを超えるこの本をホッファーは一冬のあいだに繰り返して読み、暗誦できるほどになったという。なにを隠そう、本記事のタイトル「Les essais」とは、この「エセー」の原題なのだ。なんと大胆な名をつけたもんだ。そして、この名をつけたきっかけのところにエリック・ホッファーがいる。強靭な知をもつ独学者への敬意と、みずからへの独学の意思を示したかったのだ。わたしは、『国体論及び純正社会主義』(ミネルヴァ書房)を書いた北一輝であれ、『アウトサイダー』(中村保男訳/集英社文庫)を書いたコリン・ウィルソンであれ、独学者に深い敬意をもってきた。王の論理に対抗しうる街の論理の最たるものこそ、図書館で独学した者たちにあると、わたしは信じている。
エリック・ホッファー (著)
中山 元 (翻訳)
紀伊國屋書店
モンテーニュ (著)
原 二郎 (翻訳)
岩波文庫
北 一輝 (著)
長谷川 雄一 (編集)
ミネルヴァ書房
コリン・ウィルソン (著)
中村 保男 (翻訳)
集英社文庫



