地球全体を外側から眺めるという知的な革命
ジャーナリスト・服部桂氏に聞く(3)
桐原永叔(IT批評編集長)

現在のデジタル・イノベーションをもたらしたのが、旧来の価値観や権威を否定して1960年代にアメリカ西海岸に集った若者たちだったことはよく知られている。のちに彼らのバイブルとなった雑誌「ホールアース・カタログ」の創刊号の表紙を飾ったのは、世界ではじめて公開された地球の全体像だった。地球の全体像を目にした若者たちは、なにを感じ、なにを目指したのか――服部氏は、そこに価値観を一変させる“革命”が起こったと語る。

服部 桂(はっとり かつら)
1951年生まれ。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞社に入社。1984年にAT&T通信ベンチャーに出向。1987年から1989年まで、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016年に定年退職。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師を務める。著書に『人工生命の世界』(オーム社)、『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)、『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』(翔泳社)他。訳書、監訳書に『デジタル・マクルーハン―情報の千年紀へ』、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』、『チューリング』(以上、NTT出版)、『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』(NHK出版)、『アナロジア AIの次に来るもの』(早川書房)、最新の訳書に『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)。
目次
コペルニクス的転回が反転する世界観
都築 正明(以下、――)文字と言語が過密になった現状から未来を考えるには、どのような発想が必要なのでしょう。
服部 桂氏(以下、服部) 先日『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)という本を上梓しました。「ホールアース・カタログ」を創刊したスチュアート・ブランドという人の伝記で、私の友人でもある、元ニューヨーク・タイムズ記者のジョン・マルコフが書いた本の翻訳です。日本では、スティーブ・ジョブズがそのカタログの休刊号「ホールアース・エピローグ」の裏表紙に書かれていた“Stay hungry, stay foolish”のメッセージをスタンフォード大の卒業生たちに贈ったことでも有名ですよね。スチュアート・ブランドは1938年生まれで、現在85歳です。中西部のイリノイ州生まれですが、1960年代にスタンフォード大学に入ってサンフランシスコにわたり、当時のヒッピーたちと交流しました。そこから、ドロップ・アウトしたヒッピーたちのDIY生活に必要な情報やツールを紹介する雑誌として創刊したのが「ホールアース・カタログ」です。創刊号の表紙には、それまで誰も見たことのなかった、NASAから公開された丸い地球の写真が掲載されました。
桐原永叔(以下、-) 『テクニウム』のケヴィン・ケリーはスチュアート・ブランドに出会い「ホールアース・カタログ」に携わっていましたよね。
服部 そうです。80年代からブランドと働き、WELLというオンラインシステムを運営したり、ハッカー会議を企画したり、「ホールアース・カタログ」の続編雑誌となる「ホールアース・レビュー」の編集長をしており、1993年には「Wired」の創刊にも関わっています。
私たちは地球の衛星写真というのを見慣れてしまっていますが、「ホールアース・カタログ」が最初だったんですよね。
服部 もともとは、彼がアパートの屋上でLSD服用によるトリップによって見たイメージがきっかけです。自分がふわふわと上空に浮遊して大気圏を突破して、丸い地球を眺める幻覚を見たのです。知識として地球が丸いことを知ってはいても、実際に地球の全体像「ホールアース」を目の当たりにしたのは、人類の中でアポロ計画で月に行った27人の宇宙飛行士しかいない。そこから、地球を宇宙から概観すれば世界と人間への認識が一変するのではないかと考え、NASAに写真を提供するように求める運動を起こしたのです。実際にその写真はヒッピー・ムーブメントのシンボルになり、この雑誌は彼らのバイブルにもなりました。国家や大企業に吸収されるのではなく、新しい世代として自分たちの力で生きていくという態度は、後のパーソナル・コンピュータ革命にもつながります。私は『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』の解説で、これを「コペルニクス的転回をひっくりかえした」と書きました。
天動説から地動説になったことを、さらに反転したということでしょうか。
服部 新しい天動説が到来したかのようなパラダイム・シフトということです。近代より前は、人々は神がいる地球が宇宙の中心だと考えていました。しかし近代になると、人々はコペルニクスが唱えたように、自分たちが太陽の周りを周っているという科学的事実に基づいた世界観を持つようになり、神ではなく太陽のような王や国家、法律に仕えるようになります。しかしインターネットがいまの私たちにもたらしているのは、個別に最適化されたサービスが自分を中心に周っているような、天動説に近い世界観です。「ホールアース・カタログ」をきっかけに人々が地球の全体像を見たことは、人間がはじめて鏡の中に自分自身の姿を見たことに近いのではないかと思います。
そこで啓示を受けたヒッピーたちがハッカー第1世代となりシリコンバレーのリーディング企業を創業していきます。
服部 彼らも最初からパソコンを手にしていたわけではありません。大企業に就職するルートからはドロップ・アウトしたうえで、自分たちで新しいことをはじめるためにパソコンというツールを手にして「ホールアース」を覆うネットワークを構想し、それがインターネットという形で実体化しました。こうした若者たちがもたらした20世紀最大のイノベーションですから、現在でもシリコンバレーがITビジネスの聖地のようにいわれているわけで、彼らがバイブルのように自分たちの生き方の指針にしていたのが「ホールアース・カタログ」だったのです。
“Whole Earth Catalog” 創刊号の表紙(上)とエピローグ号裏表紙(下)
“Whole Earth Catalog” 各号と派生シリーズは、ほぼ全号がオンライン公開されている