アナログの知がデジタルの限界を超克する
ジャーナリスト・服部桂氏に聞く(2)

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聞き手 都築正明(IT批評編集部)
桐原永叔(IT批評編集長)

現代において、すべてはデジタルに表現されているようにみえる。また既存のITシステムが足かせになる「2025年の崖」を前に、DX(Digital Transformation)の推進は、官民問わず喫緊の課題とされている。しかしジョージ・ダイソン『アナロジア  AIの次に来るもの』監訳者の服部氏は、デジタルは近代文明の延長線上にあるものと喝破し、アナログの知性に目を向けるべきだと提言する。デジタル文明という近代の超克に目を向けるインタビュー、第2回。

服部桂

服部 桂(はっとり かつら)

1951年生まれ。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞社に入社。1984年にAT&T通信ベンチャーに出向。1987年から1989年まで、MITメディアラボ客員研究員。科学部記者や雑誌編集者を経て2016年に定年退職。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師を務める。著書に『人工生命の世界』(オーム社)、『マクルーハンはメッセージ メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス)、『VR原論 人とテクノロジーの新しいリアル』(翔泳社)他。訳書、監訳書に『デジタル・マクルーハン―情報の千年紀へ』、『ヴィクトリア朝時代のインターネット』、『チューリング』(以上、NTT出版)、『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』(NHK出版)、『アナロジア AIの次に来るもの』(早川書房)、最新の訳書に『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』(草思社)。

目次

記号としての言語の限界がみえはじめた

桐原永叔(以下、桐原) ブッダやソクラテスは書物というものを信用していない。あたかもChatGPTがハルシネーション(幻覚)を起こすように、文字は人を惑わすものと考えられていたようですよね。

服部 桂氏(以下、服部) まさに人を動かことのできる言語を自動化した到達点がChatGPTです。虚実が入り混じった巨大な言語の確率的な地図があってそこを探索するイメージです。右に行ったり左に行ったりという選択を確率で決定するロジックがニューラル・ネットワークで繋がっているわけです。

桐原 言語学以前には宗教的なものとして修辞学があって、神に捧げるために言葉をいかに飾ったり美しくしたりするかを追究していました。この装飾的な部分が切り捨てられて言語学になり科学革命に寄与していくようになったと考えられないでしょうか。

服部 おっしゃるとおり、言語を抽象化していく過程で科学に傾斜していったのだと思います。宗教改革で神の捉え方が変わったことも大きいと思います。ローマ・カトリック教会ではただ神を信じるだけでよいのですが、プロテスタントでは聖書を読んで論理を重ねて人が自ら神を証明する立場を取っています。

桐原 予定説ですね。修辞学から言語学に転換したことが、アナログからデジタルに移行するプロセスだとは考えられないでしょうか。ChatGPTがデジタルな言語学の到達点だとすると、修辞学的なアナログ性を再考することにも意義があるように思えます。

服部 記号論理学というのは言葉の辞書的な意味を重視しますから、私的な感情が入る余地はありません。夏目漱石が、“I love you.”を「あなたを愛しています」と逐語的に訳した門下生に「そこは“月が綺麗ですね”とでも訳しておけ」と言った話は有名ですよね。こうした情緒に沿った表現は記号論理学にはなしえません。古代ギリシャのリベラルアーツは3学4科の自由7科で形成されています。初歩となる3学は文法学・論理学・修辞学で言語にかかわるもの、それより高度な4科は算術・幾何学・天文学・音楽で事物にかかわるものです。算術というのは数をかぞえることですから1次元の学問で、幾何学というのは平面的な2次元の学問です。天文学は空間的なことを考えますから3次元、音楽はそこに時間軸や調和を加えた4次元の学問だと解釈することができます。コンピュータは4科のうち最初の算術を扱っているにすぎません。

都築 正明(以下、――)現在のコンピュータは、抽象化された言語を用いて高次の処理をしているわけですね。

服部 たとえば図形の大きさを把握するときに、精緻化した言語で高速に処理したとしても、直截的に2次元の処理はできません。私たちが見てすぐにどちらが大きいかを把握できる2つの図形についても、コンピュータの場合はいちいちxとyに分けて計算をしなければなりませんから。2次元的なものを計算するために、結局のところシラミ潰しにすべて計算しているわけで、そこが1次元の論理を駆使しているコンピュータの限界です。2次元や3次元を数字でシミュレーションすることはできますが、私たちの生活するうえで99パーセントの場面においては、1次元的なロジックや計算を用いるのではなく2次元以上のアナログな知能を用いているわけです。

フロイトは無意識にアプローチするために言語の裂け目を探る精神分析を用いました。やはり言語によって識閾下にあるものを探ることは難しいのですね。

服部 意識の部分は言葉に覆いつくされていますから、無意識やイドを扱うには言語や視覚だけでは不十分です。すべてを記述しようとするなかで基本的に忘れられたものがあるということを認識しなければなりません。自分が知らない物があるということを前提にすべてのことを考えないと、視野狭窄な独善に陥ってしまいます。

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