複製技術と非物質的労働が変えた社会構造──ベンヤミンとネグリの思想から読む現代資本主義
刊行ラッシュの生成AI関連書で内生的経済成長を考えてみる

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テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

ピン工場か、見えざる手か

池田信夫が『過剰と破壊の経済学』で述べたのは、日本企業の失地回復のほうであった。この国際的な水平分業時代(フラット化する世界)で、日本企業はいかに生き残るのかを論じている。それからすでに16年を経過しているが、日本企業の存在感は回復するどころかますます失われつつある。主だった生成AIサービスのなかに日本企業はその気配すらないのが実情だ。

半導体の集積度の向上、それにともなって広がった水平分業はコンピュータのコスト低下につながった。コンピュータの価格は劇的に低下し、ひと頃は「コモディティ化」が流行語にするほど利益の薄い商品になった。

ここにふたつの最も古典的な経済学のテーゼがある。アダム・スミスが『国富論』上下(高哲男訳/講談社学術文庫)で唱えた──ピン工場を例にした──分業化と、市場の均衡を表す有名な「神の見えざる手」である。実はこのふたつは相矛盾する。分業化が進行して生産コストが下がれば相対的に利益は増えていく(収穫逓増)が、市場に投入されて他企業と競合すれば需要と供給が均されて相対的に利益は減る(収穫逓減)というわけだ。

神の見えざる手として収穫逓減が進めば経済全体はいずれ成長を止めることになる。しかし、世界経済は第一次産業革命以来、数百年にわたって成長を続けている。経済全体は収穫逓増しているわけだ。収穫が増えていく理由は、新しい資源の発見や労働人口の増加や、比較優位による生産の最適化など、さまざまにいわれてきた。技術が進化することで生産設備の能力が上がったり、従事者の能率が上がったりといったかたちで生産性は向上していく。

新古典派経済学のロバート・ソローは、生産は設備投資によって短期的には増加するとしながらも、それでは長期的な成長につながらないとした。設備を増強することはそれに伴うコストも増加させ、いずれ増加する生産分を食われてしまう。それなのに経済は成長する。設備なのか従事者なのか、それとも別のなにか、明確にできない成長の要因を「ソロー残差」と呼ぶ。技術が進化することでソロー残差が生じて経済は成長する。ソローはそう説明した。ソロー残差は外的な要因からもたらされるとされた。

ところで、私が手に取ったすべての生成AI関連の書籍で扱われたAI開発史の歴史は1950年代後半のパーセプトロンから始まり、知能をいかに数学の言葉で再現するのか、言いかえればいかに数式化するかという歴史だ。第2次AIブームまでの演繹推論から第3次AIブーム以降の帰納推論へという論理処理の転換はあったとはいえ、数学によって知的機能の記述を目指してきたことにかわりはない。だからこそ、生成AIは根本的には数学の言葉であるプログラム言語を易々と生成できるのだ。むしろ自然言語より相性がいいのかもしれない。

経済学も人間の活動をいかに数学で表すかという歴史を歩んできた。記述的な経済学が主流だった時代も、数式による経済学は研究を進められてきた。

経済成長と技術進化といえば、ヨーゼフ・シュンペーターのイノベーション理論が有名だが、このふたつの関係を数式として表すことに成功したのはポール・ローマーである。ローマーが発表した「内生的成長理論」では、ソロー残差のような外的な要因に頼らず経済成長を数式で説明する。重要なのは、設備やそのための資本や従事者のスキルといった人的資源ともちがうまったく新しいアイデアやコンセプトが誕生するとそれは競合を生じないということだ。この非競合のアイデアやコンセプトが神の見えざる手(収穫逓減)を無効にする。市場はまったく新しいアイデアやコンセプトに釣り合う価格をつけられないからだ。

先にあげた「ブラウザ戦争」という、コンピュータとインターネットの戦いは内生的な技術変化を示す好例だ。まったく新しいアイデアが創造的破壊を誘導し、古いアイデアやコンセプトを市場から一掃し、経済全体のレベルをあげて成長を促進させるのだ。

インターネットはすべての業種業態を横断して破壊的に振る舞うイノベーションの典型だった。業種業態の枠組みをさえ変えてしまった。Microsoftも退場されかけた。ビル・ゲイツの阿漕で狡猾な戦略がなければ生き残りはなかったはずだ。

あえて付記すれば、コンピュータ、インターネット、生成AIとイノベーションの間隔はどんどん短くなっており、これはレイ・カーツワイルが収穫逓減、収穫逓増に即して名付けて「収穫加速」そのものでもある。カーツワイルはムーアの法則を参考にしており、イノベーションの発生頻度は指数関数的に加速していくという。

インターネットや、その前に途上したパーソナルコンピュータの破壊的な創造が世界の経済全体のレベルを上げ成長を促進してきたのは誰にでもわかることだろう。ただ、日本人を除いては──。

内生的成長理論については、アダム・スミスの時代から、リカード、マルサス、マルクス、ケインズ、フリードマン、ハイエクといった錚々たる経済学者のみならずフォン・ノイマンさえ登場して、経済学で無視され続けた知識(アイデアとコンセプト)というものがいかに現代経済学において最重要なものになるに至ったかを論じ尽くす『ポール・ローマーと経済成長の謎』(デヴィット・ウォルシュ著/小坂恵理訳/日経BP)が非常に面白い。ちなみにローマーは2018年にノーベル経済学賞に輝いている。成長というものがなぜに半永久的に続くのかと、人の成長と同じく、経済の成長もいずれ止まる、なぜなら資源は有限なのだからと考えてきた私のような人間には、有限な資源という外的な要因ではなく、知識という内生的な要因こそ経済を成長させるというローマーの理論は積年の謎を鮮やかに心地よく解いてしまう。


国富論(上) (講談社学術文庫 2562)

国富論(上)
アダム・スミス著 高哲男訳
講談社学術文庫
ISBN978-4-06-519094-4


国富論(下) (講談社学術文庫 2563)

国富論(下)
アダム・スミス著 高哲男訳
講談社学術文庫
ISBN978-4-06-519093-7


ポール・ローマーと経済成長の謎

ポール・ローマーと経済成長の謎
デヴィッド・ウォルシュ著 小坂恵理 訳
日経BP
ISBN9784822288716


日本の経済成長は止まっている。G7で日本だけが一人当たりのGDPが成長しておらず、給与はあがっていない。明治維新から1990年、失われた30年の以前までは成長するのが当たり前だった。そんなことが常識だった時代を思い出すこともできない。

何が足りないのか? アイデアとコンセプトだ。いま最も成長をもたらす分野はいうまでもなく生成AIだ。コンピュータやインターネットの創造的な破壊が経済成長を一気に進めたように、冒頭にOpenAIとペンシルベニア大学の調査で紹介したように、生成AIの破壊的な創造に晒されるのは多種多様の業種業態だと予測されている。それはきっと経済全体のレベルをあげ成長を促すだろう。

生成AIにアイデアとコンセプトを生み出し日本経済を成長させることはできるのだろうか。必要なのは国策なのか。アニマルスピリッツをもったアントレプレナーなのか。

この数年で、日本のポジションは決定的なものになる気がする。それが成長へと反転すれば持続し、このままであればいまの状況がいよいよ固着するだろう。

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