大阪大学大学院教授・藤井啓祐氏に聞く
(2)ノイズ制御が量子コンピューターを制する──量子誤り訂正とNISQ最前線
量子誤り訂正付き大規模マシンのロードマップ
桐原 一方で、先生が研究されているNISQ(エラーのある小・中規模の量子コンピューター)1はノイズありですよね。なぜわざわざノイズありと表記されるのでしょうか。
藤井 ノイズを取り除けないからです。ノイズがあることを妥協して使いましょうということです。
桐原 なるほど。そうすると、この量子誤り訂正はどういう原理があるのですか。
藤井 量子誤り訂正はノイズの問題を根本的に解決する方法で、量子性を守りながら、ある特殊な状態をつくると一部を覗き見られたとしても、全体の量子情報は壊れないようにプロテクトすることができるんです。それを「量子誤り訂正符号」と言います。たとえば10個の量子ビットをうまく量子もつれ状態にしてやると、その10個のうちの1つが覗かれたとしても、10個すべてで表している量子情報は壊れないようにうまくタッグを組ませることができて、量子情報をキープしながら計算することができます。個々の量子ビットにはノイズが発生するのだけど、10個でタッグを組んで表している量子情報はエラーから訂正されて正しい情報になっていくというのがエラー訂正の考え方ですね。
桐原 それが「冗長化」という言葉で表される状態ですか。
藤井 そうです。冗長化があればいくらでも量子状態をキープしつづけることができるので、非常に複雑な計算が可能になります。
桐原 このあたりの研究は、実用性の話でいうとどんな感じで進んでいるのでしょうか。
藤井 今年(2022年)は「エラー訂正元年」と呼んでもいいでしょう。1個の量子情報を50個の量子ビットを使ってエラー訂正をするというデモンストレーションの実験が世界中で始まっています。IBMさんは400量子ビットを超える量子コンピューターを実現したと言っていますけど、まだまだノイズレベルが高いので、大規模な計算を精度保証しながら計算をするような量子コンピューターは、まだ実現していません。それがだいたい10年とか20年ぐらいのタイムスケールで目指しましょうという方向性で研究されています。
桐原 日本ではいかがでしょうか。
藤井 内閣府のムーンショットプログラムは、2050年に誤り訂正機能付きの大規模な量子コンピューターを目指すという方向性でやっています。ただし、先頭を走っているのはGoogleです。エラー訂正に関して、とことん追究しているのがGoogleで、中国、ヨーロッパのグループが後を追っています。特に米中の競争は壮絶ですね。
汎用量子ゲート方式 vs. 特化アニーリング方式
桐原 量子コンピューターの実用化の考え方としてアニーリング方式1とゲート方式2があります。研究開発の方向性としてはどのような違いがあるのでしょうか。
藤井 まず、アニーリング方式とゲート方式は根本的に違うことをご理解いただきたいと思います。組み合わせ最適化問題を解くというテーマに限定するなかで、既存の安くて設計しやすい半導体技術を使ってアニーリングに特化したアーキテクチャーをつくるという方向性は賢いと思います。これは、既存のコンピューターと比較して、より安くより早くという方向性です。一方、ゲート型の量子コンピューターが目指しているのは、既存のコンピューターではとうてい解けないものを解きましょうという方向性です。それを達成するための量子コンピューターをつくるのはとてつもなく難しい、ものすごく挑戦的なことですが、実現すればそれだけにリターンも大きい。その両方を同じ土俵で比較すると非常にややこしくなると思います。
桐原 そうなんですね。これは日本では両方とも研究されているのでしょうか。
藤井 されていると思います。むしろアニーリング方式は日本がものすごく力を入れていると思います。海外ではあまりやっていないですね。
量子コンピューター開発レースの現在地
桐原 現在、藤井先生の研究室ではどんな研究をなさっているのですか。
藤井 第3次AIブームをブレークさせたのはディープラーニングですが、このアイデアは実は第2次AIブームで出てきています。たとえば「誤差逆伝播法」であったりとか、「深層畳み込みニューラルネット」、「ネオコグニトロン」というコンセプトは1980年代の第2次AIブームの際に日本から出ていました。第3次AIブームというのは環境が整って、その前に出ていたアルゴリズムが花開くという図式なのです。そういう意味で、僕らの研究室でやっていることは、量子の世界で環境が整ったときに花開いて使われるような枠組みやアルゴリズムを見つけようという研究です。量子の世界におけるディープラーニングみたいなブレークスルーを生むような根本的なアルゴリムの枠組みをつくっていくことです。
桐原 日本の民間での量子コンピューターの研究開発は活発なのですか。
藤井 最近、活発化しています。富士通さんとかはかなり本気で量子コンピューターをつくりはじめていて、優秀な人をたくさん集めています。NTTさんは以前から大学顔負けのアカデミックな研究をやっています。他にもNECさん、日立さん、富士通さん、ソニーさんとかもやっておられますし、かなり力を入れはじめていると思います。
桐原 日本の産業力の国際的なポジションを取り戻す意味で、この分野での可能性を先生はどうお感じですか。
藤井 海外が先行しているんじゃないかみたいな話になることも多いのですが、先は長いので、まだスタートしたばかりだと思います。よくF1にたとえるのですけど、まだオープニング・ラップぐらいで、スタートすらしていないと思います。たしかに予選で1位ではないかもしれませんが、F1って50周とか60周を回るので順位は変わりますよね。途中でタイヤがパンクしたり、いろんなこと起こるわけです。まだまだ先は長いので、今の状態でどうこう言っても仕方がないという感じはします。
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