安全保障としてのサイバーセキュリティ戦略
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員 小宮山 功一朗氏に聞く(2)
技術者の視点から国際政治の視点への転換
当時の小宮山さんは、サイバーリバタリアン的な立場をとられていた、ということでしょうか。
小宮山 カウンター・カルチャーとしての西海岸的なヒッピー的思想と、東海岸的なビジネスマインドとしてのヤッピー的思想が習合して超国家的なサイバースペースを構想してインターネット文化を形成した、というカリフォルニアン・イデオロギーの考え方に共鳴していました。また、個人の自由や社会的・経済的課題を解決する、という姿勢にも肯定的でした。
そのような環境にいた小宮山さんの認識が、 Stuxnet という現実のマルウェアと遭遇したことで大きく変化したわけですね。
小宮山 たしかに、私たちの住んでいる世界に紛争や戦争がなければ、世界中に手と手をとりあって成立するサイバー空間というのも成立するかもしれない。でも現実に国と国とが争っているのに、なぜサイバー空間がそこから遊離した 1 つのものであると、私たちは勘違いしてしまったのだろう? という疑問に思い至りました。そこで考えを改めなければならないと思いました。そこから面白くなった、とも言えるのですが。
そこから研究の道に歩まれた。
小宮山 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の土屋大洋教授の研究室に入りました。土屋先生は先ほど触れた通り、サイバー空間のスパイ活動について最初期に指摘されていた方です。2000年代初頭に著書を読んで「インターネットについて陰謀論めいたことを言っている」と思っていたのですが、本当はこの人が一番先を見ていたのだ、と思いなおしましたので。研究室に入るとき、懺悔のような気持ちで「すみません。かつて先生のことを変わった方だと思っていましたが、5 年、10 年先について勉強したいので、研究させてください」と頭を下げたところ、先生も笑っていました。
どのような研究をされたのでしょう。
小宮山 大学院に入る前は、日本が中国・韓国といった東アジアの国々と、サイバーセキュリティの分野でどのような協力関係を築くことができるか、ということに関心がありました。ただ、大学院にいる間に、日本と中国との関係が、かつての“戦略的互恵関係”から安全保障上の懸念国へと変わってきました。
尖閣諸島での漁船衝突事件があった時期ですね。衝突時の海上自衛隊の映像が Youtube で拡散されたことも、日中の 2 国間の対応への議論を呼ぶきっかけになりました。
小宮山 そうですね。そこで、日本・中国・韓国の国家間の協力ということを議論する前提が変わってきたので、研究テーマを変える必要がありました。当時、北朝鮮から日本へのサイバー攻撃が実際にありましたので、その背景を調べました。すると北朝鮮では高度な知識やスキルを持つ技術者が養成されつつも、それを自国でマネタイズする手段が限られている、という構図が見えてきました。その上で、各国のサイバーセキュリティ対策組織が国境を超えて、どのように協力していくべきかを研究者の視点から考察する論文を書きました。