サイバー空間という闘争領域とその拡大
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員 小宮山 功一朗氏に聞く(1)
塗り替わるサイバー時代の世界勢力図
サイバー攻撃能力を有する国家同士の争いという観点でいうと、今後の各国の軍事力の比較についての観点も、従来の火力を中心としたものとは異なってくるのでしょうか。
小宮山 従来の軍事力比較においても推計できない要素が多くあります。それをサイバー攻撃能力について応用すると、さらに推計が難しくなってきます。私自身は、結局は国土の中にどれだけのデータが保存されているか、ということに帰着すると考えています。例えば、データセンターの延床面積や消費電力量、HDDメーカーの世界での売上比などを参考にすると、新しい勢力図が大まかに見えてきます。明らかにいえるのは、いかに世界のサイバー空間におけるアメリカの影響力が大きいか、ということです。また、アジアの中心は、すでに日本ではなく中国になっています。

出典「小宮山功一朗. 2020. “サイバーセキュリティのグローバル・ガバナンス.” 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 学位請求論文」
インドも IT 大国だと言われていますが。
小宮山 インドは、国内の技術者のレベルがそれほど高いというわけではありません。インドの技術者に聞くと、国内にデータがないので、AI やビッグデータについての研究もできない、と言います。そういう研究がしたい人は、アメリカの大学に留学するそうです。
その意味では、国内にいる技術者のレベルというのも、国の有しているデータに依拠している、ということですね。
小宮山 そうですね。やはりアメリカの水準が圧倒的なものになってきます。
アメリカという国家の論理とシリコンバレーを中心とした IT 企業の論理とが乖離することはないのでしょうか。アメリカの国家がナショナリズムの観点から IT 企業に技術協力を求めたい一方、企業側は、望んでもいない国家安全保障のコストを負いたくない、というような。
小宮山 たしかに国家間の比較では MicrosoftやGoogle、facebook や Apple、Amazonなどの巨大 IT 企業の持っているデータをアメリカという国のデータとしてカウントしているので、そこを切り離して考えると、見え方が変わってくる可能性はあります。顧客情報をはじめ大量のデータを有しているこれらの企業の意向が、必ずしもアメリカ政府の意向と一致するとは限らない、という見方もあります。ただし、今後はむしろ両者を切り分けるのが難しくなってくるかもしれません。
小宮山さんは論文「サイバーセキュリティの未来」(“Nextcom 2020 Autumn”所収)で、アメリカを中心とする資本主義国家群・中国を中心とする権威主義国家群にグローバルテックカンパニーを加えたサイバー空間における三項対立の図式を示されていました。今後はその図式が変わってくる、ということでしょうか。
小宮山 切り分けることが難しい側面と、ギャップが明らかになる側面との両方が生じて、一層複雑になると考えられます。アメリカでは、米国防総省がマルチクラウドベンダー契約 JWCC (Joint Warfighting Cloud Capability)への応札を、Amazon Web Services(AWS) とGoogle、Microsoft、Oracleに呼びかけています。中止となった先行プロジェクト“JEDI”(Joint Enterprise Defense Infrastructure)の Microsoft との契約が 100億 ドル規模でしたから、これから、さまざまな意味で前例のない大規模のデータセンターが誕生することになります。このような経緯では、国家の論理と企業の論理とを切り分けて考えることは難しくなります。一方、戦争のありかたも変わってきます。国際法上は軍事施設でない場所を攻撃対象にしてはいけません。これまでは、民間企業の使用するデータセンターを攻撃することはできませんでした。しかし、民間施設とはいえ、アメリカ国防総省だけが軍事目的で使っているデータセンターを完全に民間施設といえるかどうか、というのは難しい問題ですし、解釈次第ではそこが攻撃対象になる可能性があります。一方、国防総省をクライアントとして施設やデータを提供している IT 企業の従業員が、自分のいる職場が攻撃目標になるかもしれない、という覚悟を持っているわけでもありません。その意味では国家と企業との意識のギャップは、より大きくなってきます。