マルチバース化する社会で「クオンタム思考」を身につけよ
元グーグル米国本社副社長・村上 憲郎氏に聞く(1)

岸田政権は、新しい資本主義実現会議において、科学技術分野の成長戦略を議論し、人工知能(AI)や量子技術など先端技術に関する国家戦略を策定すると表明した。新たなテクノロジーとして注目を集める量子技術、量子コンピューターだが、その技術の背後にある量子力学の論理に我々が慣れ親しんでいるとは言い難い。今回は、1970年代から先端コンピューター技術に関わり、Google本社副社長兼日本代表を務められ、量子力学の著書も上梓している村上憲郎氏に、量子コンピューター時代を生き抜くための「クオンタム思考」や、量子コンピューターが社会やビジネスに与えるインパクトについて、慶應義塾大学大学院特任准教授を務めるクロサカ タツヤ氏が聞いた。

(むらかみ のりお)
元グーグル米国本社副社長・日本法人社長。株式会社村上憲郎事務所代表取締役。1970年京都大学卒業後、日立電子のミニコンピュータのシステムエンジニアとしてスタート。1978年Digital Equipment Corporation(DEC)Japanに転籍。通産省第五世代コンピュータプロジェクトの担当を務める中で人工知能(AI)分野の知見を修得。1986年米国マサチューセッツ州 DEC 米国本社人工知能技術センターに勤務。2003年Google米国本社副社長兼Google Japan代表取締役社長に就任。日本におけるGoogleの全業務の責任者を務め、2009年に名誉会長に就く。2011年の退任後、村上憲郎事務所を開設。京都大学で工学士号を取得し、現在は大阪公立大学大学院都市経営研究科教授、国際大学GLOCOM客員教授、大阪工業大学客員教授、会津大学参与にも従事する。著書に『クオンタム思考』(日経BP)、『量子コンピュータを理解するための量子力学「超」入門』(悟空出版)等がある。
目次
- 量子的世界には“いい加減力”で慣れていく
- 決定論は最後には神様を措定せざるを得ない
- ネオ・ヒューマンと「五蘊非我」
- すでに世界はマルチバース化している
- 「生命」とは何か「自己意識」とは何か、ピーター3.0が問うもの
“いい加減力”で慣れていく
クロサカ タツヤ氏(以下、クロサカ) 今回、「IT批評」では量子コンピューターや量子力学について特集を組むことになりました。そこで、黎明期からコンピューターに深く関わられ、かつ量子コンピューターに詳しい村上さんにお話をお伺いしようという趣旨です。私自身は量子コンピューターの研究開発には直接は関わっていませんが、大学の教員として常に近くにあるWIDEプロジェクトでも量子イ
村上 憲郎氏(以下、村上)それが分かっていれば、SFCの単位が取れます(笑)
クロサカ ギリギリCはなんとか取れるかな、みたいな感じです(笑) 今回は私も含めて読者の皆さんが疑問に持っている、そもそも量子とは何かということを、技術的なことはもちろん、その奥底にあるパラダイムや思想について詳しくお話をお伺いしたいと考えています。
村上 私も最初は量子力学が分かりませんでした。数式を追いかけていっても、それがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。結局、非日常的な世界を記述しているわけですから、むしろ分かるという人がおかしい。
桐原 永叔(以下、桐原) そうですよね。マクロな世界ではありえないことを記述していますから。私は、量子力学については、理解するというより、本を何冊も読んでその世界に慣れていくしかないなと思っています。そういうことが起こりうるということに対して、拒否感がないようにするぐらいが精いっぱいですね。
村上 2021年の5月に『クオンタム思考』という本で量子力学について書いたのですが、もう少し難しくても構わないから詳しく書いて欲しいというリクエストに応えたのが『量子コンピュータを理解するための量子力学「超」入門』です。なぜこの本を書こうと思ったかというと、自分が50年ほど前には理解できなかった「数式の意味するもの」が、量子コンピューターを通じて理解できるようになったことで、読者にもそれを追体験して欲しいという思いからです。結局、最後はおっしゃったように、慣れるしかないというところがありますね。
桐原 村上先生の『クオンタム思考』を読ませていただいて、普遍絶対の法則を追い求める決定論的な考え方だけでは社会も我々が住んでいる世界も語れなくなってきていると感じています。出版界で言えば、哲学書が売れていることの理由でもあるのですが、哲学書とか思想書が2010年以降売れるようになっているのは、きっともう決定論や既存のロジックでは未来を予測することができないという感触を多くの人が持ち始めたからではないかと考えています。すべては相対的で観測者の介在によって変化する確率論的な世界観に親しむこと、まさに『クオンタム思考』が必要になっているのではないかと。
クロサカ おっしゃる通りだと思います。ただし、ずっとそのパラダイムが長い時間続くのであれば、人間は順応していくと思うのですが、いきなり決定論から確率論に移行するのは難しい。不確実な世界って、普遍絶対の法則を信奉してきた人は順応できないと思うのです。まして不確実性と不確定性の違いなんて、一見すると訳が分からないのではないか。私なんかいい加減なので「へえーそうなのか」と思うわけですが、これからは“いい加減力”が試されてくるんじゃないかという気がします。
村上 いいことをおっしゃいますね。本当に、“いい加減力”が必要になってきています。私もクオンタム思考なんて偉そうなことを言っていますが、一知半解のいい加減思考ですから。
クロサカ 私は「いい加減」と「適当」という言葉が大好きで、どちらもいい言葉なんですよね。良い加減だし、適当ということは状況にフィットしているという意味ですから。