“ポスト・トゥルース”時代のナラティブとハルシネーション
第1回 予期しうるソーカル事件と不満スタディーズ
ソーカル事件が示唆する生成AIの“悪用”
生成AIを用いたハックにはさまざまなバリエーションが考えられる。
その1つは生成AIに書かせた論文を発表して学術誌に掲載させたのちにネタバラシをして、学会の硬直性を揶揄するというようなものだ。生成AIを用いたものではないが、学術界では似たようなことがすでに行われている。ここでは2つの例を挙げてみよう。
カルチュラル・スタディーズを扱う学術誌「ソーシャル・テクスト」誌に1999年春夏号に、ニューヨーク大学物理学教授アラン・ソーカルによる論文「境界線を侵犯すること――量子引力の変形解釈学へ向けて――」という寄稿論文が掲載された。
内容はジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ、ジャン=フランソワ・リオタールの引用を散りばめて称賛しつつ、自然科学においても普遍的な真実の存在が否定され、認識論上の相対主義を見出しうるとするものだった。マッハ・ツェンダー干渉計を用いた光学実験を例に挙げて「物理学的“現実”は社会的“現実”と同様に、言語学的・社会的構築物である」とされている。
その後ソーカルは、この論文がポスト・モダニズムの論文の引用と、光軸のズレた間違った光の干渉実験であることを発表するとともに、投稿の目的が同誌の文化左翼的イデオロギー性を明らかにすることにあると表明した。のちにソーカルはベルギーの物理学者ジャン・ブリクモンとともに『知の欺瞞』を発表し、ポスト・モダニズム論者が衒学的に自然科学のレトリックを濫用していることを指摘した。
これは“ソーカル事件”として、当時のポストモダニストを嘲笑するものとして知られている。
しかし実際のソーカルは、サンディニスタ革命政権下のニカラグアで数学を教えたり、自らフェミニストであることを表明したりと、きわめてリベラルな人物だった。かれの真意は、アメリカのリベラリストが過剰な相対主義に陥り、思想的起源である啓蒙精神を失っていることに警鐘を鳴らすことだったという。