“ポスト・トゥルース”時代のナラティブとハルシネーション
第2回 非常時に投下される悪しきナラティブ

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

悪しきナラティブがもたらした悲劇

 

100年前に起きた関東大震災においても在日朝鮮人が暴動や放火をおこしたり、井戸に毒を入れたりしたという流言がなされ、新聞にも掲載されたために、官憲や自警団が関東各地で朝鮮人を虐殺したという事件が起きている。

当時日本の統治下にあった朝鮮では、震災の4年前に独立運動“三・一運動”が起こり、軍が鎮圧した経緯があったために差別や弾圧が行われていた経緯のもとでなされた事件であり、警察発表、外電、新聞報道にもこの流言が掲載されていたことから、社会不安のもとでの市民感情の暴発というだけで収まらない部分も多い。

また同年には千葉県野田市では、香川県からの行商人15名を朝鮮人だと決めつけた自警団が殺傷するという“福田村事件”も起きている。

2014年にはフォークシンガー中川五郎が「1923年福田村の虐殺」という楽曲を制作したほか、2023年には森達也がドキュメンタリー映画「福田村事件」を全国公開した。関東大震災直後のデマに基づく朝鮮人虐殺については毎年9月1日に追悼式典が行われており、歴代都知事が追悼のメッセージを送ってきたものの、小池都知事は就任2年目の2017年以降は追悼文を寄せることを見送っており、虐殺の事実認定についても明言を避けている。

このことについて2024年5月には、東京大学の教員83名は「定まった評価を受けている学説への信頼を毀損している」として、史実を認定するとともに追悼のメッセージを出すことを求める要請書を連名で提出した。

 災害や戦争、経済停滞などの非常時に、社会の不透明さを理路づけるもっともらしい流言蜚語やデマが投下されれば、人々がそこに惹きつけられるのは当然だ。

そうした言説が仮想敵を名指していれば、そこに自分たちの不安を転嫁することもでき、対象を攻撃することはガス抜きの効果をもたらす。さらに「敵ではない」ことを根拠にしたコミュニティへの帰属意識をもたらすことになる。通常であれば粗い筋書きのナラティブも、欲望で裏打ちされれば説得力を持つ。これらは幻覚、つまりハルシネーションにほかならならず、幻覚のもとでは理性や論理はハックされる。

事実誤認と論理矛盾にもとづいて、もっともらしいナラティブを仕立て上げることは、生成AIがもっとも得意とするところである。人のハルシネーションとAIのハルシネーションとが同期したときに起こる悲劇は、想像するにあまりある。

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