長期主義は見えない未来を変えられるか
第1回 長期的に見ると、われわれは……
シリコンバレーにおける思想トレンドの1つに挙げられる長期主義(Longtermism)。人類と文明のために善をなそうとするこのビジョンに先立って、寄附の費用対効果を推計してリソース配分を行う効果的利他主義が提唱された。
目次
大恐慌のなかで短期的解決を訴えたケインズ
「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう(In the long run we are all dead.)」というのはケインズの有名な言葉である。この言葉は、1929年に勃発した大恐慌のもとで書かれたものである。それ以前の5年間で5倍へと膨張した当時のアメリカ国の株価は、わずか5日間で半分になった。1932年の国内総生産(GDP)はマイナス13%成長、33年の失業率は25%に達したという。アダム・スミスを祖とする古典派経済学のいうように長期的には均衡が訪れるとした古典派経済学にたいし、長期的な予定調和を待つのではなく、短期的な解決をはかるために有効需要の創出や公共事業の必要性を主張したのが冒頭の言葉である。その後、アメリカは2度のニューディール政策を経て“大圧縮時代”や“黄金の金ぴか時代”といわれる時代を謳歌することとなる。
ところが、この言葉が往々にして勘違いを生んでいる。ケインズが「長期的にはみな死んでいるのだから、先のことを考えてもしかたない」と言っているというのだ。典型例としては、次のようなものが挙げられる「“長期的には我々は皆死んでいる”というのは、大経済学者ケインズの有名なセリフだ。このおかげでエコノミストは大迷惑である。マクロ経済分析の視点から金融市場を見ると、不均衡があれば“いつかは”それが解消されて均衡を取り戻す変化が起きるはずだ、ということは言える。しかしそれが“いつか”を言い当てることは難しい(中略)“それでも不均衡は解消される”はずなのだ。それがいつなのか分からないが、我々が皆死んでしまう“前”であることだけは確実だろう」。これはSNSで拾ったものではなく、筆者が創作したものでもない。経済企画庁(現内閣府)を経て大手シンクタンクのエコノミストとなり、専務理事まで勤めたのちにある大学の経済学部特別客員教授になっているという経歴の持ち主だ。
念のため、ケインズの言葉をあとに続く部分も含めて掲載しておく。「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう。嵐の渦中で経済学者に言えることが“嵐が過ぎれば波はまた静まるであろう”というだけならば、彼らは自らにあまりにお気楽で役立たずの役割しか課していないのだ(In the long run we are all dead. Economists set themselves too easy, too useless a task if in tempestuous seasons they can only tell us that when the storm is long past the ocean is flat again.)」