筑波大学名誉教授・精神科医 斎藤環氏に聞く
第5回 オープンダイアローグのひろがりとAIの精神医学への貢献は
――カップルをみると襲いたくなってしまうので、いつも鞄にジャックナイフを入れて持ち歩いている統合失調症の患者さんの話を聞いたことがあります。そうした患者さんが犯罪を引き起こさないようにアプローチすることは可能でしょうか。
斎藤 統合失調症の方でそういう衝動を持つ方は非常に稀なケースなので、その方については誤診を疑うレベルですが……まあ、そういう方であってもその衝動は、対話実践でかなり緩和できると思います。動機や欲望を言葉にするのはフロイト由来の方法ですが、オープンダイアローグでそれをチームで共有することで、さらに効果が上がる実感を抱いています。患者さんのなかにはかなり危険なことを口にする方もいらっしゃいますが、オープンダイアローグを継続するなかでそうした逸脱行為が実行されることは、まずありません。また、そうした衝動も次第に弱まっていく印象があります。
――既存の精神分析が言葉のメスでオペをしたり、クライアントの言葉の裂け目から無意識にアプローチしたりするのにたいして、オープン・ダイアローグでは、クライアントの言葉を膨らませて、チームでナラティブを紡いでいくというイメージでよいですか。
斎藤 ほぼそうしたイメージです。オープンダイアローグでは、精神分析的な解釈を原則として禁じています。また精神療法の基本的なツールである転移を用いることもありません。精神療法では、クライアントの心を揺さぶって変えていこうとするのですが、精神分析のゆさぶりは心への侵襲性が強いので、傷つけてしまう可能性が高いのです。オープンダイアローグのよいところは、その侵襲性をゼロに近づけようとしているところです。患者の身体に染みついたコンテクストを、言葉の力で安全に揺さぶることが重要です。
――精神分析では治療者のコントロールがうまく効いたり効かなかったりすることがあるわけですか。
斎藤 現実に直面化させたり、心を強くゆさぶることを考えてしまうと、クライアントの心にダメージを与える可能性があります。オープンダイアローグが画期的なのは、治療目標とコントロールとを一切手放して、対話に身を任せることを前面に出したことにあります。
――オープンダイアローグの手法を日常に応用することもできますか。
斎藤 対話を重ねていくという意味で、応用範囲は広いと思います。対話実践をしていて、親御さんから「子どもがこんなことを考えていたなんて、まったく知りませんでした」という感想を良くいただきます。そう聞くと、家庭内でも対話実践を応用できれば相互理解も深まるし、対話の欠如によるこじれは防げるだろうと思います。
――企業や団体でもマネジメントやコーチングの技術としてナラティブアプローチが注目されています。一方でワン・オン・ワンがもてはやされていて、危うさも感じます。
斎藤 昔よりはマナーが浸透しているとはいえ、やはりワン・オン・ワンはリスクが高すぎるので、面談は「n対n」でしてほしいと思います。個人面談は密室性があり、上下関係もありますから転移関係*2が成立しやすい。ハラスメントになったり、転移性恋愛や共依存に陥ったりする危険がありますから。
――そこでお互いが過敏になると、役割演技のうえでポジショントークをするだけに終わってしまいます。
斎藤 そうなると、対話は成立しなくなります。
*2 転移関係。過去の重要な人間関係の感情や態度が、現在の対話者との関係に無意識に反映される現象。これにより、関係が歪み、誤解や感情的な混乱が生じる危険性がある。特に感情が強くなると、相手に過剰な期待や反発を抱くことがあり、関係のバランスが崩れる可能性が高まるため、慎重な対応が求められる。