筑波大学名誉教授・精神科医 斎藤環氏に聞く
第2回 無意識はどのように構成されているか

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

前回の記事では、無意識が言語的に構成されていることが語られた。第2回ーでは、無意識において言語はどのように構成されているのか、また計算機科学はそこにリーチできるのかを尋ねた。斎藤氏は、自然科学ですべてを解決できるという誤謬があり、精神医学も同じ問題をかかえていると語る。

取材:2024年8月5日 筑波大学斎藤環研究室にて

 

斎藤 環(さいとう たまき)

精神科医、筑波大学医学医療系社会精神保健学名誉教授。公益社団法人青少年健康センター会長、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン (ODNJP) 共同代表。専門は思春期・青年期の精神病理学。ひきこもりの支援や治療活動で注目を集める。『文脈病:ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ』(青土社)、『社会的ひきこもり――終わらない思春期』(PHP新書)、『心理学化する社会――なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』(河出文庫)、『承認をめぐる病』(ちくま文庫)、『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)など著書多数。現在はフィンランド発の対話的心理治療“オープンダイアローグ”の普及促進に努めている。近著『イルカと否定神学』(医学書院)が9月に刊行される。

 

 

目次

自然科学万能論が人間理解を阻む

無意識における言語の連鎖とは

 

 

 

 

 

 

自然科学万能論が人間理解を阻む

 

――ディープニューラルネットワークは人間の脳を模したシステムですが、脳の機能そのものがわからなければ、たんなる模型と同じになってしまいます。

 

斎藤 そうですね。脳を模しているといっても、末梢からの入力をどうしているのか。この点についてきちんと論じられていないという印象があります。身体性のない形而上学的な計算だけで知性のシミュレーションができるというのはまったくの錯覚です。脳の作動は身体性、すなわち末梢神経からの入出力の処理抜きには考えられません。映画『マトリックス』とか哲学者パットナムの「水槽の中の脳」のように、脳だけ取り出して主観を再構成できるかという思考実験は、哲学的には面白いかも知れませんが、生理学的にはナンセンスです。脳に末梢からの刺激を模した電気信号を送れるインターフェイスが可能であったとして——これも不可能に近いのですが——その電気信号を発生させるには、末梢神経まで完璧にトレースしたネットワークを再構築する必要があります。それはいわば「原寸大の地図」みたいなもので、そもそも存在意義がわかりません。

 

――できるとすると、マルチモーダルで五感の情報を伝えるということになります。

 

斎藤 それも人間を定量的に再現することにすぎません。人工知能の限界は、そこにあります。

 

――チャーチランド*1も将来的には心的概念をすべて神経科学の用語で説明がつくようになると言っていますが、それも反実仮想の域を出ていないように思えます。

 

斎藤 人の心を数理的に記述しようという欲望は昔からありますが、私は数理的解析ができれば人間がわかるというのは幻想だと思っています。そういう幻想からまだ人々が抜けられていないということでしょう。知性を科学的に再構成したいという欲望は、科学者が一度は陥る万能感の表出であろうと考えています。

 

――先ほどの先生の言葉でいうと、心理学ブームの後に脳ブームがあって、シームレスに同じ内容が反復されている。そこにAIの発想が交差して、あたかも知能を持った存在をつくることが可能であると考えられているのが現状だということでしょうか。

 

斎藤 シビアなようですが、脳科学としていわれている内容の多くは心理学のパクリで、神経科学の裏付けがあるかのように見せてかけているだけです。また私は精神科医なので、精神医学にもそうした傾向があることも指摘せざるをえません。精神医学では統合失調症やうつ病というのはドーパミンやセロトニン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質の作用で理解できるといわれていますが、これは事実ではなくて、いまだ再現性のある仮説はありませんし、神経伝達物質が精神疾患の原因なのか結果なのかもわかっていません。ドーパミンが多いから統合失調症の症状が出てくるのか、統合失調症になった結果としてドーパミンが増えるのかという問いには、いまなお決着がついていないのです。それゆえ向精神薬についても、有効性のエビデンスは非常に弱い。製薬会社があまりにも強く宣伝した結果、セロトニンを増やせばうつ病が改善するということになっていますが、これも再現性のある話ではありません。服薬によって短期的に改善が起こるのは事実であるとしても、長期にわたって服用した場合はかえってQOL(Quality Of Life:生活の質)が下がるというデータもあります。しかし科学者も医者も、自分が自然科学に携わっていると思いたいので、なかなか引き返せないんです。いつかは科学的に解明できるはずだという幻想を捨てられない。私はこのような自負が非常に有害な作用を及ぼしていると考えています。精神疾患のようにローカライズされた問題ですら、この50年間ほぼ解決できていない事実を顧みましょう。あまりにも困難なために、多くの製薬会社は向精神薬の新薬開発から撤退しています。薬物療法の限界というものについて、精神医学はもっと謙虚に受け止めるべきだと思います。薬物だけですべての精神疾患を治せるという未来は、決してやってこないのですから。

 

――一時期はSSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors:選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI(Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitors:セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)が新薬としてもてはやされましたけれど。

 

斎藤 それも20年以上前の話です。海外ではSSRIやSNRIは1990年代からありました。その後、それを上回る効果を持つ画期的な新薬というのは登場していません。そうした新薬にも副作用がありますし、効果もそれほど安定していません。うつ病はむしろ増える一方です。本当に画期的な新薬であれば、うつ病は減っているはずですよね。

 

 ――世の中での患者さんの総数が増えているということですね。

 

斎藤 先進諸国では、1990年代から2000年代にかけて、うつ病の有病率が増加したというデータがあります。この時代にSSRIやSNRIが鳴り物入りで導入されたにもかかわらず、うつ病が増えているのは理にかなっていません。実はこうした薬は、症状を改善するものの、寛解には至りません。その結果、症状は抑えられたものの治りきらない患者さんがたくさん残されることになりました、これが患者数が増えた大きな理由です。そうした患者さんがたくさん溢れていて、精神科のクリニックがたくさんできているにもかかわらず、どこの予約も満杯であるという状況がずっと続いています。

*1 パトリシア・チャーチランド(1943-)。カナダ出身の哲学者。神経哲学の先駆者。脳の科学的理解が心の哲学的問題にどう影響するのかを研究し、心神経活動として「消去的唯物論」を提唱。神経科学と哲学の融合に貢献している

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