筑波大学名誉教授・精神科医 斎藤環氏に聞く
第1回 AIは無意識を持つか
人工知能(Artifical Intelligence)は文字どおり、思考する機械として構想された。機械学習と深層学習に基づき、言語を介した対話的なインターフェースを持つ生成AIが急速に普及したことから、AIが人間の知性を凌駕する技術的特異点が訪れることを自明視する声や、AIが無意識を持ちうるという声も聞かれるようになった。本特集では、筑波大学名誉教授の斎藤環氏に、無意識とはなにか、心とはなにかについて、精神医学の見地から話を聞いた。
取材:2024年8月5日 筑波大学斎藤環研究室にて
斎藤 環(さいとう たまき)
精神科医、筑波大学医学医療系社会精神保健学名誉教授。公益社団法人青少年健康センター会長、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン (ODNJP) 共同代表。専門は思春期・青年期の精神病理学。ひきこもりの支援や治療活動で注目を集める。『文脈病:ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ』(青土社)、『社会的ひきこもり――終わらない思春期』(PHP新書)、『心理学化する社会――なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』(河出文庫)、『承認をめぐる病』(ちくま文庫)、『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)など著書多数。現在はフィンランド発の対話的心理治療“オープンダイアローグ”の普及促進に努めている。近著『イルカと否定神学』(医学書院)が9月に刊行される。
目次
AIは精神医学の役に立つか
都築正明(以下――)ChatGPTがリリースされてからここ2年ほどで、多くの人が生成AIを使うようになりました。このことについて先生はどのような所感をお持ちでしょう。
斎藤環氏(以下斎藤)驚くほど発達したと思いますし、多くの方々が利用していますね。私も会議の挨拶を準備するときや英文メールの作成、論文の要約や研究プランのブラッシュアップなどに大いに活用しています。最近は自炊して電子化した本の要約をしてくれるサービスもあって非常に助かっています。プロンプトを細かく指定するとねらい通りのものを生成してくれますので、画期的なツールだと思っています。ただし言葉の意味についてはまったくわかっていませんから、知性という意味では頭が悪いとしかいえません。意味を理解できないものは知能に値しないと思います。その意味でAIは洗練された統計マシーンという域から1歩も出てないと思います。知性に近いものを擬装するという点では、かなり進化しているとは思いますが。たとえば、「こういう状況を意味することわざを列挙せよ」という課題をやらせてみると、誤答だらけだし存在しないことわざを捏造するしで、まるで話にならない。高度な統計問題をやさしく解説してくれるのはできるのに、簡単な数式をいくつか見せて、法則を推定させるようなクイズ——中高生レベルです——は解けない。条件を指定すれば、人間よりも素晴らしく的確な文章を生成してくれますが、状況に応じて意味を生成するようなことはまったくできないわけです。シンギュラリティが喧伝されていますが、そうしたことはありえないというのが現状認識ですし、どれだけ処理能力が上がったとしても、人間の総合的な知能を上回ることはないと、ほぼ確信しています。
――先生はデビュー作の『文脈病:ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ』(青土社)のころからベイトソン*1やマトゥラーナ*2について言及されていましたが、統計や確率計算だけで人間の知性をカバーできないというのは、サイバネティクス的な意味においてでしょうか。
斎藤 専門外ではありますが、私は一貫して知性のタイプに興味があって、こういう知性はこういう分野には応用が効くけれども、こういう分野には応用が効かないということを著書にも書きつづけています。AIは統計学や理系の分野においては素晴らしい力を発揮する可能性があると思いますが、人文系に使える実用性は、いまだ限りなく低いとしかいえません。そもそも嘘をつきますから。ですから、そこは使い分け次第だと思います。
*1 グレゴリー・ベイトソン(1904-1980)。イギリス出身の人類学者。ダブルバインド理論は精神病理学に影響を与え、システム思考や自己組織化の概念を提唱、サイバネティクス研究にも貢献。生態学的な視点を強調したことで、環境問題にも通じる
*2 アンベルト・マトゥラーナ(1928-2021)。チリの生物学者。オートポイエーシス(自己生成)の概念を提唱。フランシスコ・ヴァレラとともに生物の自己組織化や認知のプロセスを研究し、システム理論やサイバネティクスに影響を与えた