AIが拡げる生命科学の可能性─藤田医科大学教授・八代嘉美氏に聞く
第5回 再生医療の実用化に向けて

FEATUREおすすめ
聞き手 都築 正明
IT批評編集部

2012年に山中伸弥氏がiPS細胞樹立の業績によりノーベル医学・生理学賞を受賞したことで再生医療は大きく注目を集めた。現在では、iPS細胞を応用した医療技術が、多くの医学分野をカバーしようとしている。八代嘉美氏へのインタビュー最終回では、再生医療のひろがりと社会実装について話を聞いた。

取材:2025年2月21日 藤田医科大学東京先端医療研究センター役員ラウンジにて

 

 

八代 嘉美(やしろ よしみ)

藤田医科大学橋渡し研究支援人材統合教育・育成センター教授、慶應義塾大学 再生医療リサーチセンター 副センター長・特任教授/医学部整形外科学教室訪問教授、国立医薬品食品衛生研究所 再生・細胞医療製品部 客員研究員。名城大学薬学部薬学科卒。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。慶應義塾大学特任助教、東京女子医科大学特任講師、京都大学iPS細胞研究所特定准教授などを経て現職。研究分野は幹細胞生物学、再生医療の社会実装に関する研究、科学技術社会論。著書に『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』(平凡社新書)、共著に『再生医療のしくみ』(日本実業出版社)『死にたくないんですけど-iPS細胞は死を克服できるのか』(ソフトバンククリエイティブ)など。

 

 

目次

拡大する再生医療の応用範囲

再生医療を社会にひろげるために

 

 

 

 

 

 

拡大する再生医療の応用範囲

 

都築 正明(以下――) 今回のインタビューにあたって調べてみて、いまiPS細胞が用いられている分野が多岐に及んでいることに驚きました。

 

八代 そうですね。2025年1月に、当先端医療研究センターの院長である榛村重人先生のグループが水疱性角膜症の患者さんにiPS細胞からつくられた代替細胞を移植した臨床研究を発表しました。同じく眼科分野で、高橋政代先生がiPS細胞から作製した網膜組織を移植する治療法を先進医療として進めていらっしゃいます。高橋先生が最初に臨床研究をされたのが2016年のことですから、この8〜9年の間に、さまざまなことが進められています。再生医療だけでなく、がん治療の分野では、がんをターゲットとして認識するアンテナの働きを付与したT細胞やNK細胞という免疫細胞をつくって投与するCAR-T細胞療法のリソースとしてもiPS細胞がよく使われています。

 

――パーキンソン病やアルツハイマー病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の創薬にも、iPS細胞が用いられているそうですね。

 

八代 iPS細胞の利点の1つとして、患者さんからiPS細胞をつくることで疾患の状況を再現する細胞ができて、なにを与えれば疾患の進行が遅くなったり止まったりするのかを体外で見ることができることが挙げられます。創薬のスクリーニングとしては、とても有効なツールです。

 

――さきに挙げた疾患のほか心不全や脊髄損傷など、人生を好転させ得るような分野で応用されていることは、とくに私たちの幸福に資するだろうと思いました。

 

八代 ただし、応用範囲が広がるなかで、先進的な医療を提供するコストをどう考えるかということが1つの課題になっています。負担が大きいので保険適用外の自由診療にするべきだという意見もあれば、国として研究してきたことを保険適用で提供しないという形は選べないだろという意見もあります。こうした課題の倫理性を考えるのも私の研究分野なので、議論やコンセンサスをどのように形成するのかについても考えなければなりません。 特定の医療が特権的な人や富裕層だけのものになると、生命の選別につながる懸念もあります。アメリカのように割り切って、ある程度から先は自費診療にして、それに備えて医療保険に入るという考え方もありますが、いままで日本の医療はそのように形づくられてきたわけではありません。

 

――高額になったり規制をかけたりすることで、アンダーグラウンドに他国で臓器移植を受けるようなことになっても困ります。

 

八代 いっしょに研究をしている津田塾大学(現慶應義塾大学)の伊藤由希子先生によると、日本の保険制度のもとで臓器移植をする自己負担は200万円〜300万円ぐらいですが、アメリカで同じことを行う場合には、待機期間の費用などを加算すると2.5億円ぐらいの負担になってしまいます。一方、日本の場合にはドナーが不足しているなどの問題が立ちはだかります。私は、そうした状況下で自由診療にして多額の自己負担を強いるよりも、再生医療など他の治療手段が担保されることが大事だと考えています。

 

1 2