私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い
第5回 ヒューマニズムか、それとも信仰か

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

本稿の終わりに、再びシンギュラリティ理論について再考したい。ここではまず、理性と道徳をテーマに据えてきた近年のスティーブン・ピンカーの思考を紹介する。それぞれ哲学者と心理学者として人間とはなにかを追究してきたデネットとピンカー、シンギュラリティ以降の人類の未来を知りたいとするレイ・カーツワイル。両者を対照させることで見えてくるものとは。

 

 

目次

人類はよりよく「なる」のか?

人類をよりよく「する」には

ヒューマニズムか、信仰か

 

 

 

 

 

人類はよりよく「なる」のか?

 

前回より議論の下敷きにしていたレイ・カーツワイルによる『シンギュラリティはより近く:人類がAIと融合するとき』(高橋則明訳/NHK出版)には、進化心理学者スティーブン・ピンカーの名も散見される。すべて、人類は進歩し、世界はよりよくなっている傍証としてである。

ピンカーは『言語を生みだす本能』(椋田直子訳/NHKブックス)で言語獲得が本能として先天的に組み込まれていることを、続く『心の仕組み』(椋田直子他訳/ちくま学芸文庫)では言語だけでなく心すべてが、進化的に発達した能力のモジュールが組み合わさったものであることを論じた。つづく『人間の本性を考える』(山下篤子訳/ちくま学芸文庫)では、人には進化の結果として生得的に備わった機能があるとして、従来の“ブランクスレート”“高貴な野蛮人”“機械のなかの幽霊”などの諸説を強烈に批判した。『心の仕組み』では人の心について、生存本能や自己増殖といった目的を果たすために、高度にモジュール化や階層化がなされた神経回路であるという解説がなされており、デネットにも通じる工学的な見立てがなされている。

たしかに『暴力の人類史』(幾島幸子他訳/青土社)においてピンカーは、人類が有史以来“万人の万人による闘争”の状態から国民国家を生み、経済を発展させ、科学と情報をもとに進化させてきた結果、殺人や暴力を激減させてきたことを、詳細なデータとさまざまな学問分野による検証をもとに描き出した。同書ではこの傾向を、平和化・文明化・人道主義・長い平和・新しい平和・権利革命という6つのフェーズから解説している。また、それをもたらしたのが、なによりも人間の理性であり、教育の拡大により知能指数が上昇してきたフリン効果と、経済活動や情報の拡大に基づき共感の対象が広がったことだと結論づけた。

原題“BETTER ANGELS OF OUR NATURE(わたしたちのなかにあるより善き天使)”や終章タイトル“天使の翼に乗って”のイメージから、洋の東西を問わず、同書が人類の未来を全面的に楽観視して肯定していると誤解されている面も大いにあるようだ。ピンカー自身もそうしたイメージに辟易しているようで、つづく『21世紀の啓蒙:理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(橘明美他訳/草思社)で、自身がユートピア思想に害されているという批判には自著『人間の本性を考える』をひいて自身を「断固たる反ロマン主義・反ユートピア主義」であると主張するほか、最新刊『人はどこまで合理的か』(橘明美訳/草思社)でも、自身をお人好しだとする声に「私は疑えるものはなんでも疑う」と応えている。日本でも「昔はよかった」式のノスタルジーへの反論の例証として『暴力の人類史』をひく人も多い。この連載の第1回でも、なかった過去へのノスタルジーを批判的に論じたが、過去よりましになった現在で等閑視していればよいわけではない。ピンカー自身も、いまある差別を是認しているという誤解からLSA(Linguistic Society of America:アメリカ言語学会)のアカデミック・フェローやメディア・エキスパートの地位からの除名運動を起こされたことがある。

 

シンギュラリティはより近く 人類がAIと融合するとき
レイ・カーツワイル 著, 高橋 則明 訳
NHK出版
ISBN978-4140819807

暴力の人類史
スティーブン・ピンカー 著, 幾島幸子 訳, 塩原通緒 訳
青土社
ISBN978-4791768462

人はどこまで合理的か
スティーブン・ピンカー 著, 橘 明美 訳
草思社
ISBN978-4794225894

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