サイボーグ・フェミニズムの到来
第5回 ジェンダーの撹乱とサイボーグ・フェミニズム
ジョディス・バトラーは、欲望と主体について、性とジェンダーの自明性を疑い、両者が社会文化的・歴史的な抑圧のうえに構築される偶発的なものであるとした。その影響を受けた生物学者ダナ・ハラウェイは、性-ジェンダーのシステムについて、まだ見ぬサイボーグの視点から捉えることを提唱する。両者が提示したヴィジョンは、ジェンダーだけでなく、あらゆる自然-世界観をアップデートするものである。
目次
「女であること」の捏造の系譜
前節に記した構造主義やフロイトの抑圧説は、普遍的な構造そのものを懐疑するポスト構造主義と称されるアプローチにより批判を受けることとなる。構造が再構築される容態を示したジャック・デリダ、生成変化を説き、精神科医フェリックス・ガタリとの共著でタイトルに『アンチ・オイディプス』(宇野邦一訳/河出文庫)を冠する著作をものしたジル・ドゥルーズ、知に内在する権力の作用を暴いていったミシェル・フーコーといった面々だが、ここではかれら、特にフーコーの思想に多くを負いつつ、ジェンダーの自明性を懐疑したジョディス・バトラーに、ざっくりとではあるが着目する。
バトラーは『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの撹乱』(竹村和子訳/青土社)において、まずジェンダー以前に想定される生物学的・解剖学的な性の自明性を俎上にあげる。ボーヴォワールに代表される実存主義フェミニズムは、女という先験的な性のうえで欲望の対象となることで、ジェンダーが構築されるとした。だからこそ、女は男性的ロゴス中心主義の域外にある身体を介して、性とジェンダーの同一化をはかり、主体性を獲得することが目的とされた。またレヴィ=ストロースが構造人類学として提示したのは、親族関係における婚姻制度が、女性を儀礼的に追放し受け入れることを通じて氏族制度を維持することと、氏族間の交流を安定化させることという機能的な目的だということだった。バトラーは、両者それぞれが目的(テロス)を志向し、普遍性に向かうものとして批判するとともに、性とジェンダーがともに反復された権力の結果だと主張する。
バトラーはそのうえで、性とジェンダーがともに自明なものではなく、パフォーマティヴに遂行されるものであるとする。附言すると、パフォーマティブというのは、J. L・オースティンが講義録『言語と行為 いかにして言葉でものごとを行うか』(飯野勝己訳/講談社学術文庫)において提示した概念で、言語には命題の真偽を問うことのできる確認的(コンスタティヴ)な機能だけでなく、発話そのものが行為となる遂行的(パフォーマティヴ)な側面を持つとされるものである。男性的ロゴス中心主義は前者に属するものであり、フロイトのいう抑圧構造やラカンのいう象徴界は、コンスタティヴに同定されたジェンダー・アイデンティティということになる。フーコーが『性の歴史』(渡辺守章訳/新潮社)において異性愛を時代決定のなかで規範化された禁止と産出の図式としたことにならい、バトラーは“女というカテゴリー”の虚構性を次々に露呈させる。そのうえでバトラーは、そのフーコーが理想とした“性自認のない状態”をも幻想にすぎないとして切り捨て、多様なセクシャリティの可能性を探るクィア理論を開拓することとなる。