AIが拡げる生命科学の可能性─藤田医科大学教授・八代嘉美氏に聞く
第3回 研究開発と臨床、医療と社会実装を架橋する

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

生命科学者・八代嘉美氏へのインタビュー第3回では、氏の人物像に焦点を当てる。小学生のころからパソコンに親しみ、読書とサブカルチャーに深い関心を抱いていた少年が、いかにして生命医学に関心を寄せ、再生医療と社会を結ぶようになったのか。

取材:2025年2月21日 藤田医科大学東京先端医療研究センター役員ラウンジにて

 

 

八代 嘉美(やしろ よしみ)

藤田医科大学橋渡し研究支援人材統合教育・育成センター教授、慶應義塾大学 再生医療リサーチセンター 副センター長・特任教授/医学部整形外科学教室訪問教授、国立医薬品食品衛生研究所 再生・細胞医療製品部 客員研究員。名城大学薬学部薬学科卒。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。慶應義塾大学特任助教、東京女子医科大学特任講師、京都大学iPS細胞研究所特定准教授などを経て現職。研究分野は幹細胞生物学、再生医療の社会実装に関する研究、科学技術社会論。著書に『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』(平凡社新書)、共著に『再生医療のしくみ』(日本実業出版社)『死にたくないんですけど-iPS細胞は死を克服できるのか』(ソフトバンククリエイティブ)など。

 

 

目次

サブカルチャーとパソコンに夢中だった少年時代

脳死の議論をきっかけに生命科学に関心を抱く

再生医療の拠点を担うコンセプト・メイク

 

 

 

 

サブカルチャーとパソコンに夢中だった少年時代

 

都築 正明(以下――) 先生は、名古屋ご出身ですよね。

 

八代嘉美氏(以下八代) 名古屋で産まれて、幼稚園から小学校ぐらいまでは岐阜県の北方にいました。その後、春日井市のニュータウンで育ちました。

 

――早い時期からMSXに触れられたと伺いました。

 

八代 小学校2年生のときにファミコンが発売されました。当時は百貨店に行くとファミコンのデモ機があって、行列すれば遊べた一方で、電器店に行くとパソコンのデモ機がありましたが、ファミコンに比べれば地味でしたね。で、どちらかなら買ってあげると親に言われて、SONYのHitBitという無印MSXマシンを買ってもらいました。小学生のころは、デモプログラムを打ち込んで、ワイヤーフレームの迷路などをつくったりして遊んでいました。

 

――幼少期は医学を目指されていたのでしょうか。

 

八代 医師になりたい一方で、漫画や小説を読むのが好きだったおかげで、国語や英語は勉強しなくてもなんとかごまかせていましたし、司馬遼太郎だとか阿川弘之なんかを愛読していたので、中学生のころは弁護士などの法律の仕事や、歴史に関わる仕事をしたいとも思っていました。

 

――当時はどのような漫画や小説を読まれていたのでしょう。

 

八代 大きく影響を受けたのは、アンドロイドの高校生が主人公の『究極超人あ~る』(ゆうきまさみ著/少年サンデーコミックス)です。オンタイムでは、ロボットが蔓延した近未来の首都圏を舞台にした『機動警察パトレイバー』(ゆうきまさみ著/少年サンデーコミックス)が連載されていて、愛読していました。名古屋は名古屋テレビのお膝元ということもあって、アニメ“機動戦士ガンダム”はさんざん再放送されていましたし、“機動戦士Ζ(ゼータ)ガンダム”が放映されていたのでよくみていましたね。当時は勉強するフリでアニメ系のラジオを聞いて、小森まなみさんというラジオDJのイベントに行ったりしていました。高校生1年生のころは人文系に進みたいと思っていたのですが、人文・社会系では将来食えないと周囲に説得されて、理系進学に切り替えました。

 

――親御さんのご意向が大きかったのでしょうか。

 

八代 そうですね。父は小さなゼネコンに勤めていましたし、母は美大でインテリアを教えていました。親類もみんな理系の職種にばかり就いていましたから、家庭内で文系進学といってもまったく話が通じませんでしたね。父親もオタク気質があったのかパソコンも好きで、当時はMSXの後にPC-8800mk2MRとFM TOWNSがうちにあって、N88-BASICやFORTRANでプログラムを組んだり、GNU for TOWNS をいじったりもしていたので、情報系にも関心がありましたね。なので、説得されたというよりは内心理系関係のほうが好きだったんでしょう。

 

――その後、名城大学薬学部に進学されるわけですね。

 

八代 大学在学中も、名古屋の大須という電気街にあるパソコンショップでアルバイトをしていました。当時はネットワーク構築やサーバをいじったりもしていました。小学生ころから父親のワープロでパソコン通信のBBSに参加していたのですが、高校卒業後にISDNからADSLになって、テレホーダイもサービス開始になり、インターネットに接続するようになりました。大学生のころはIRC(Internet Relay Chat)というUNIX上のチャットシステムで趣味の合う人たちと会話をしていました。「LINUX JAPAN」(五橋研究所)や「トランジスタ技術」(CQ出版社)なども購読していました。

 

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