私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い
第3回 デネットにおける明晰な意識と曖昧な自由意志

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

デネットは、生物学者リチャード・ドーキンスの呈示したミーム概念の心理学的・哲学的な意義を考察し、意識が進化の過程で発生したものだと主張した。一方で、自由意志については意識と同じように決定論を主張しつつも、それを想定することで人々がよい行いをするのだから自由意志はあることにしておこうとする両立論の立場をとった。

 

 

目次

ミーム複合体としての意識

自由意志を語るデネットの歯切れの悪さ

 

 

 

 

 

ミーム複合体としての意識

 

デネットは人間の意識はミーム複合体であるとする。前回“多元的草稿モデル”として紹介したように、意識はそうあるようにデザインされたのではない言語による複数の思考が脳内でもたらしたものだというわけだ。

ミーム(mime)はリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』(日髙敏隆他訳/紀伊國屋書店)において呈示した、生物の情報を伝達する遺伝子と相関して文化的な情報を伝達する理論上の自己複製子である。ミームはドーキンスの造語で、コピーや模倣を意味するギリシャ語の語根“mim-”と「……素」を意味する接尾辞“-eme”とを併せた“mimeme”という語を、遺伝子(gene)と並べるために短縮したものである。

ここで留意すべきなのは、ここでいうミームはメタファーでなく、実体を持つということだ。昨年、猫の背景切り抜き画像をアバターのように用いたインターネット・ミーム“猫ミーム”が流行したが、進化心理学でいう原義のミームは、現象ではなく脳神経の具体的な型であり、それが自己複製することで文化的な情報が伝達するとされる。

意識のこのような構成は、やはり工学的なアナロジーで説明されうるものでもある。ノイマン型コンピュータにおいて、複数の回路が並列処理されることで基盤となる回路が特定できないままに仮想マシンとして機能する。このように考えると、意識は基盤回路と同じく物理的実体は持たないものの、分散した回路としては実在するといえる。このように構成される意識は“カルデジアン劇場”のように中心的な視座をもたないままに並列処理されることとなる。デネットは、複数の思考(ストーリー)から現出する意識を、物理的には存在しないものの想定しうる物体の重心になぞらえて“物語重力の中心”と呼ぶ。前述のとおり、このシステムのプログラムを構成するのは、自然淘汰のアルゴリズムである。

意識が、進化のアルゴリズムにより積み上がったものとして根拠づけられるのであれば、意識がベルクソンが提唱した“エラン・ヴィタール”のように曰く言いがたい跳躍から生じたという説は、空中から突然なにかを取り出してみせる“偉大なるなにか”による創造説と変わらない。デネットはこうした生気論的に意識の発生を主張する説を“スカイフック”と揶揄して、実際は地に足の着いた“スカイクレーン”であると主張する。進化の理路で説明できない現象的な意識として論じられるのがクオリアであり、デネットが強く否定するものである。

 

利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンス 著, 日髙敏隆, 岸 由二, 羽田節子, 垂水雄二訳
紀伊國屋書店
ISBN978-4314011532

 

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