サイボーグ・フェミニズムの到来
第2回 プロ・ライフとプロ・チョイスの相克のゆくえ

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テキスト 都築 正明
IT批評編集部

欧米の多くの政治イシューがそうであるように、人工妊娠中絶をめぐる態度のちがいも宗教観とリベラリズムへの距離を背景としている。この節では、人工妊娠中絶を否定するアメリカ保守層の論拠と、リベラルな思想を出自とするテック・エリートがいかに保守支持へと舵を切ったかの経緯を考える。

 

目次

政争と神学論争としての人工妊娠中絶

反転するシリコンバレーのポリティクス

 

 

 

政争と神学論争としての人工妊娠中絶

 

前回、人工妊娠中絶を禁止する州法が合衆国憲法に照らして違憲とされたことを記したが、アメリカの法律体系は合衆国憲法が連邦法に優越し、連邦法が州法に優越する構造となっている。先述のロー判決やケイシー判決は、州法の違憲性を認めるものではあったものの、連邦法ではないため、各州は原則的に連邦政府の介入を受けずに独自の州法を定めることができる。

2018年には、妊娠15週以降の中絶を禁止する州法がミシシッピー州で成立した。同州で唯一人工妊娠中絶を行っていたジャクソン女性健康機関は、この州法がロー判決に照らして違憲であるとして、州保健担当官トーマス・E・ドブスを提訴した。下級裁判所は中絶禁止の州法を違憲としていたものの、州側はこれを不当として上告する。2022年6月24日、アメリカ最高裁はミシシッピ州法を支持して下級裁判所の判決を取り消す判決を下す。このドブス判決はロー判決およびケイシー判決を覆すもので、アメリカ合衆国憲法が人工妊娠中絶の権利を保護するという、49年間維持されてきた根拠は失われることとなった。

この裁判の背景には、1993年にキリスト教プロテスタント福音派のもとで設立された保守系キリスト教団体ADF(Alliance Defending Freedom:自由防衛同盟)による、最高裁まで上告される訴訟を意図的に起こし、ロー判決を覆す法廷闘争を引き起こすという特別な意図があったとされている。聖書の絶対的な無謬性を主張しキリスト教原理主義とも称されるこの団体は、進化論の否定や公教育での礼拝義務化など、従来から積極的に政治に関与しており、人工妊娠中絶への反対も、人の命は神の差配によりもたらされるもので、それを人が奪うことは背信的行為だとする価値観に基づいている。ドブス判決当時の判事は保守派6名、リベラル派3名という構成で、保守派のうち3名は「アメリカ史上もっともプロ・ライフな大統領」を自認していたドナルド・トランプが前回大統領として指名した判事だった。トランプの大統領出馬が決定された後には、急進的なプロ・ライフ派は、トランプが妊娠15週以降の中絶を連邦レベルで禁止することを表明するという期待に反し、2024年4月8日に公表された動画では、ロー対ウェイド判決が覆されたことで生じたことの「責任者であることを誇りに思う」としつつも「法的には誰もが望んでいた中絶が可能だ。各州が投票か立法か、もしくはその両方で決めることだ」と、連邦法でなく、あくまで州法のレベルで決定されるものという立場を示した。これは強硬な保守派だけでなくひろい立場の支持を大統領選で獲得するためのメッセージであるとともに、2月に凍結胚を過失で破損した患者が刑事罰に問われて司法判断が大きく二分している現状への言及を回避したものとみられている。共和党の指名争いで最後まで残っていたニッキー・ヘイリーはアラバマ裁判の判決を支持していた。トランプと決選投票を争った民主党候補カマラ・ハリス氏は、副大統領時に当時の大統領ジョー・バイデンとともにドブス判決を非難したほか、自身も積極的に人工妊娠中絶を行う病院を訪問するなど、根っからのプロ・チョイス派である。

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