AIが拡げる生命科学の可能性─藤田医科大学教授・八代嘉美氏に聞く
第2回 テクノロジーは生命と倫理を変えるのか

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聞き手 都築 正明
IT批評編集部

生成AIが普及したことで、これまでの数学・物理法則が通用しなくなるシンギュラリティと、その後に訪れる人類の未来をユートピア/ディストピアの双方の視点から描いてみせる論も数多くもたらされるようになった。八代嘉美氏へのインタビュー第2回では、科学的視点から生命とはなにかを問いなおす。

取材:2025年2月21日 藤田医科大学東京先端医療研究センター役員ラウンジにて

 

 

八代 嘉美(やしろ よしみ)

藤田医科大学橋渡し研究支援人材統合教育・育成センター教授、慶應義塾大学 再生医療リサーチセンター 副センター長・特任教授/医学部整形外科学教室訪問教授、国立医薬品食品衛生研究所 再生・細胞医療製品部 客員研究員。名城大学薬学部薬学科卒。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。慶應義塾大学特任助教、東京女子医科大学特任講師、京都大学iPS細胞研究所特定准教授などを経て現職。研究分野は幹細胞生物学、再生医療の社会実装に関する研究、科学技術社会論。著書に『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』(平凡社新書)、共著に『再生医療のしくみ』(日本実業出版社)『死にたくないんですけど-iPS細胞は死を克服できるのか』(ソフトバンククリエイティブ)など。

 

 

目次

生命を理解する2つのアプローチ

生命とはなにかという最大の問題

生命の倫理をどう捉えるか

 

 

 

 

 

生命を理解する2つのアプローチ

 

都築 正明(以下――) AIと生化学に基づく合成生物学によって、工学的に生命が誕生することを予言するテクノロジストもいます。

 

八代嘉美氏(以下八代) 生命科学において、生命を理解するアプローチには2つあります。1つはボトムアップのアプローチで、さきほどのタンパク質やアミノ酸、あるいは炭素や窒素、原子といったレベルでさまざまな部品を組み合わせていって、その積み重ねから生命ができてくるだろうという構成主義的なアプローチです。もう1つは生成AIのように大量のデータを集めてきて、もっともらしい方向を定義づけていくトップダウンの方法です。双方のアプローチの会合面がどこなのかは、まだわからないところです。

 

――福岡伸一先生は生命を動的平衡と表現されますが、先生はそこについて懐疑的です。

 

八代 多くの人々が習慣的に考えていた生命へのイメージを、情緒的な言葉で飲み込みやすく表現したこと自体は素晴らしいことだと思います。方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」のような日本人の無常観とも共鳴しやすいですし、その時代時代の表現があってもいいでしょう。ただ、そのように見かけが同一な状態であっても、物質が入れ替わっていくような状態のことは、「定常状態」とすでに名付けられていますし、福岡さんが「動的な平衡」と呼んだものは、すでにプリゴジンが「散逸構造」として提唱しているんですよね。物質が入れ替わりながらバランスが成り立つことに美しさを見出して驚嘆するだけでなく、その定常状態をつくり出すものはなにか、なぜそれが発達してきたのかを考えるのがサイエンスだと思います。ボトムアップとトップダウンの両方のアプローチが必要だといわれていますが、その会合面がどこにあるのかということは、まだわかっていません。やはりボトムアップ的アプローチは、自然としての生命を尊重する人たちからは好まれません。たとえばかつて福岡さんは、iPS細胞やES細胞について、時間の流れに逆らうものであるからバラ色の未来はない、と主張していたんですね。しかし山中因子を用いれば、もっとも原始的な手法であったとしても、細胞をかなりの状況までリセットすることができたことはは事実です。現在ではさらにさまざまな方向から、細胞の「時間の流れ」の蓄積について見えてきています。世界は分けてもわからないわけではなく、分けて考えるボトムアップと、分けずに眺めるトップダウンの両方のアプローチが必要なのだと思います。

 

――ALIfe*についても、しばしば2つのアプローチが相克します。

 

八代 ALIfeの最初のアプローチは、細胞のなかにあるさまざまなシグナルや物質の流れを再現しようというボトムアップからの遠大なものでした。逆にいうと、トップダウンでの情報処理ができるという発想はなかったということだと思います。しかし、そうすると演算量がどうしても足りなくなってしまいます。そこは科学の限界ともいえるところですが、そうすると結局はホーリズムではないかという結論に帰着してしまう。人間の実験的な手法では、微分あるいは積分していくことしかできませんから、そのプロセスで曲線に近似させていくことはできても、完全な円を最初から描くことは難しいというような限界は常に存在することになります。現在のAIは、人間の頭の中での知識や脳のシステムもある程度模倣していて、それを高速で処理できるという意味において、生命科学にも大きなインパクトがありますし、 期待したいところです。

 

――計算量が1023を超えたところで意味が通るようになったGPT-3のようなLLM(Large Language Model:大規模言語モデル)は、完全にトップダウンですよね。意味が通るとはいえ、ルールベースの立場からは説明できないですし、その齟齬を「創発」という言葉で埋めても違和感が残ります。

 

八代 生命科学においては、トップダウンでシミュレーションができたとしても、それを試験管で再現できなくてはなりません。地質学などは1回性のもので再現が困難ですから、それに比べれば生命科学は答え合わせがしやすくて、進めやすいともいえますけれど。

 

――シミュレーションといっても、いまのAIのレベルでは、やはり限度がありますものね。

 

八代 局所的なものですから、例えば脳の表面が折りたたまれてどのように皺になっていくのかとか、肺の分岐がどうできるか、という局所的や限定的な時間をシミュレートできるようにはなっていますが、形成期間の全体であったり、あるいは個体形成といったさまざまな相互作用に基づくシミュレートは簡単に実現できるものではありません。そういったところでは、細胞・そしきという、いわば「モノ」から意識がどう生まれてくるのかというところまでブリッジするのは、まだ難しいのではないでしょうか。

 

――生成AIの進化が加速しているなかで、カーツワイルなどはシンギュラリティへのラストスパートだと言っていたりもします。演算量を増やせばできるわけではないと思うのですが。

 

八代 そうですね。演算量を増やせば、かなり大きなことはわかってくるとは思いますが、どのように生命が誕生したのかということを完全に説明することもできません。生命現象は、間違いなく物質が行っているものであって、なにか大いなる力が働いているわけではないと思いますが、それでもなお困難だと思います。

 

――そのあたりを創発現象の拡大解釈や超越論、はたまた神秘主義のようなスカイフック的な発想で説明する言説も多いのが現状です。

 

八代 生命を物理現象で捉えられるというのが私たち生命科学者の信念ですが、やはりすべてを再現することは難しいです。合成生物学の手法で膜をつくって、ある程度自律的に分化や分裂することのできる細胞のようなものをつくることができたとしても、それがどのような進化過程をたどっていくのかっていうのを演算量だけで見せることは困難です。推測はつくかもしれませんが、再現可能かどうかを見極めきれません。そこには細かなパラメータや偶然性も入ってくるでしょうから。

 

 

――概念だけでなく、具体的なレベルでそれを証明することは困難ですね。

 

八代 そうはいっても、大きな道を描くことは可能だと思います。その意味においては、シミュレーションができることは大きな意義だとは思います。

*1 ALIfe。人工生命(Artificial Life)。生化学やコンピュータ上のモデルやロボットを使って、生命をシミュレーションすることで、生命に関するシステム(生命プロセスと進化)を研究する。1986年にアメリカの理論的生物学者クリストファー・ラングトンによって命名された。

 

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