私たちはいかなる進化の途上にいるのか――心・意識・自由意志をめぐる問い
第1回 “中国人の部屋”とカテゴリーの誤謬

前回は、レイ・カーツワイル『シンギュラリティはより近く: 人類がAIと融合するとき』(高橋 則明 訳/NHK出版)を下敷きに、昨年物故したダニエル・カーネマンとダニエル・デネットのAGI(Artificial General Intelligence:人工汎用知能)やASI(Artificial Superintelligence:人工超知能)観について紹介した。AIをめぐるデネットの考えについては、デヴィット・チャーマーズ批判の件に留まっていたので、今回はその続きからみていこう。
目次
ジョン・サールが呈示したチューリング・テストへの懐疑
本サイトの読者には、機械が人のように考えられるかどうかをはかるチューリング・テストについて知っている方も多いことと思う。ブラインド・テストをして、人の回答化なのか機械の回答なのかが判別できなければ機械が人と同等の知性を持つというもので、イミテーション・ゲームとも呼ばれる。チューリングが特定の例文をつくったわけではないので、さほど特異な発想ではない。アラン・チューリングが1950年に考案するより300年以上前に、デカルト――期せずして心身二元論の代名詞とされる“カルテジアン”当人である――は、1637年に公刊された『方法序説』(谷川多佳子訳/岩波文庫)において「不死の魂を備えた人間と機械とを見分けるための最善の方法は、会話をしてみることである」と述べている。
AI研究に批判的で、このテストの有意性に異を唱えたのが、言語哲学や心の哲学を専門にするジョン・サールである。サールは“中国語の部屋”の思考実験を提示して、チューリング・テストに反駁する。部屋の中にいる人間は中国語を理解していないが、正確な手続きにしたがって質問に答えることで外形的には中国語を理解できるようにみえるという有名な内容だが、ここでは原典をもとに、少し詳しくみてみよう。ここではある箱に閉じ込められるのはサール自身である。サールは箱の外から中国語で書かれた紙を差し入れられる。中国語で差し入れられる紙の束は3種類あり、まず第1の束<スクリプト>が渡され、次に第2の束<ストーリー>が、英語で書かれた第1の束<スクリプト>と第2の束<ストーリー>とを関連づける英語で書かれたルールとともに渡される。箱の中のサールはこのルールに基づいて1つの形式的記号と2つめの形式的記号とを対応づけることができる。最後に3つめの束<質問>が、やはり英語で書かれた指示とともに渡される。するとサールは3つめの束に中国語で書かれている要素を、前の2つの束と対応づけることができ、このルールは3つめの束に記された中国語の文字列への返答を、やはり中国語の文字列として箱の外に返す方法を指示するものとなる。