「名もなき者」たちのマシーン
第5回 新しいクリエイティビティをもたらす武器としてのテクノロジー

REVIEWおすすめ
テキスト 桐原 永叔
IT批評編集長

テクノロジーが生み出した新たなクリエイティビティは、マイノリティを力強く支え、多様性を育む力を持っている。映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』におけるディランがガスリーのギターを抱えるシーンは、このクリエイティブな武器が社会を変える象徴として描かれている。

 

 

目次

フォークとパンクの反逆性を橋渡ししたボブ・ディラン

ディランが体現した価値観の多様性

「名もなき者」の集合知がスケールするとき

 

 

 

 

フォークとパンクの反逆性を橋渡ししたボブ・ディラン

 

先に挙げた『パンクの系譜学』ではパンクのみならず、大衆音楽におけるルーツについても深く分析されている。たとえばフォークがアメリカ国内での共産主義運動と深く関わっていた点などは重要だ。ウディ・ガスリーはレッドパージの標的になってきたし、民衆に土着したフォークやブルースを録音して後世に伝えたアラン・ローマックス、彼らと活動しフォークムーブメントを起こしたピート・シーガーなどに言及していく。
ウディ・ガスリーなどは、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』上下(伏見威蕃訳/新潮文庫)の物語さながらに、季節労働者のホーボー(Hobo)として列車に無賃乗車することで全米各地を渡り歩き、そのなかでいくつもの曲をつくった。ガスリーは貧困をむしろ誇りとしていた人物である。「弱さ」を表現の武器にしたと言ってもいい。
しかしフォークの時代は変化を迎える。新たな天才がフォークとパンクの反逆性を橋渡しする。その天才とはウディ・ガスリーに大きな影響をうけたボブ・ディランである。

 

ガスリーは何百もの曲を作り出したものの、そのほとんどは録音されなかったが、ディランと同世代のフォークシンガーたちが彼の遺産を受け継いだ。そしてディランは、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルのステージにエレキギターを持って登場し、フォークとロックンロールを組み合わせ、パンクに連なる新しい「ロックスタイル」を作り始めた。

『パンクの系譜学』

 

怒りの葡萄
ジョン スタインベック 著, J伏見 威蕃 訳
新潮文庫
ISBN978-4102101094

 

1 2 3